曲がった膝で祈ること

8月 27, 2019 0 Comments


神を信じるすべての人は、常に神に祈ります。そして、私たちの祈りはさまざまな理由やさまざまな状況によって促されます。私たちは、主の導きと保護、健康のため、祝福のため、主の赦しのために、そして、もっと多くのことを祈ります。 

私たちが会衆と一緒に祈る例がいくつもあります、そして、そのような場合には、私たちは祈りを声に出して言います。しかし、ほとんどの場合は、私たちは一人で神に祈ります。ここでは、私達は私達の祈りを声に出して言うのではなく、私達は静かにそれを行います。 

しかしながら、私たちは神に、どのように正しく祈るべきですか?あなたが一人で祈っているならば、主イエス・キリストはそれをする方法についてのお勧めを与えておられました。

マタイ 6:5-6 で言われたように、 

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
マタイ 6:5
また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

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マタイ 6:6
あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
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一人で祈るときは、こっそりと気付かれずに祈るのが良いです。カトリック教徒や他の偽善者たちがしているように、祈っている間に、私たち自身を公の場で披露することを御父は望まないのです。彼らは、彼らが神に祈っていることを人々に見せつけるためだけに祈ります。それらは、表面的な信心の単なる表示です。彼らは、彼らを見る人々の目の中でただ、聖人に見られたいのです。しかし、主イエス・キリストは、キリスト教徒たちに次のように忠告しました。「隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 」と、仰せられました。 

どうやってひそかに祈ることができるのでしょうか?あなたが祈っているのを、誰も見ることができない場所に行き、ひそかに御父に祈って下さい。一言も言わずに祈る。どうやって?コリント 一 14:15にて、使徒パウロによれば、

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コリント 一 14:15
ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
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もし、あなたがあなたの心で祈るならば、あなたが神に言っていることを、誰も聞くことが出来ないでしょう。サタンは人間の心と精神を見れません。人間の心と精神にあるものは、悪魔には知られていません。私たちの心と私たちの精神にあるものを知っているのは主のみです。

エレミヤ書 17:9-10 で言われているように、

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エレミヤ書 17:9
人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。 

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エレミヤ書 17:10
わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行ないの結ぶ実によって報いる。
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もし、あなたがあなたの心で祈るならば、それは、あなたと神との間のみの個人的なやり取りになります。あなたが何を求めているのかを知っているのは、主だけです。だから、サタンはあなたの嘆願に邪魔することができないでしょう。御父があなたの願いに応え、または叶って下さる時、あなたに与えるであろう良いことを、サタンは妨げることができないでしょう。

あなたが一人でやっているのであれば、祈るための正しい方法は、内密に祈ることです。あなたは、言葉を言う必要はありません。例え、話されていなくても、あるいは言葉で表現することが困難であっても、御父はあなたの中のものを知っているので、あなたはあなたの心と精神の中に何があるかなんて、話す必要はありません。ローマ 8:26で言われたように、 

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ローマ 8:26
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
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言葉で表現できない呻きがありますが、御霊は私たちのために御父に仲介します。たとえ言葉で表現できなくても、御父は、私たちが必要とするすべてのことを知っています。私たちの心と私たちの精神は、神の聖霊のとりなしを通して、御父とつながります。 

さて、私たちの祈りの位置はどうなるでしょうか?

マタイ 26:39 で言われたように、 

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マタイ 26:39
それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
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主イエス・キリストが祈ると、主はご自分の顔に落ちました。これがカトリック教徒とプロテスタントが実践していないことです - 彼らは私たちの主イエス・キリストが祈った方法には従いません。聖書的に言えば、ひざまずくとは、頭を地面に下げて、全身を半分に折り曲げる姿勢です。カトリック教徒や他のプロテスタントの教会のように、膝を90度に曲げるのは通常のことではありません。本来は、膝をしっかりと曲げる事です。、あなたは、あなたの顔を地面に向けて身をひれ伏します。

祈るときの他の重要な指針はコリント 一 11:4-5で与えられます、次の通りであるように、 

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コリント 一 11:4
男が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていたら、自分の頭をはずかしめることになります。 

男性の場合は、頭を覆った状態で祈っているならば、その男性は頭を不名誉に思っています。頭がターバンで覆われているインド人やヒンズー教徒のように。ですから、祈るときには、男性は頭を覆ってはいけません。
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では、女性たちの場合は? 

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コリント 一 11:5
しかし、女が、祈りや預言をするとき、頭にかぶり物を着けていなかったら、自分の頭をはずかしめることになります。それは髪をそっているのと全く同じことだからです。 

女性に関しては、祈るとき、女性は、自の頭を覆わなければなりません。女性が自分の頭を不名誉にしないようにするために、女性は祈っているときはいつでもそれを覆う必要があります。
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もちろん、聖句で言及されている「かぶり物」は、頭の上にカトリックの女性が身に着けている多色のベールのような頭のための文字通りのカバーを指していません!これは、この記事にてではなく、今後の記事で、私が詳しく述べようとしている、霊的なもの、そして非常に深いものを図ります。神のご加護を!

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