祈る家のみで、祈りの家はもうありません

12月 07, 2019 0 Comments


私たちは、なぜ今はもはや祈りの家を持たないのですか?それは、聖書の真理を熱心に探求する人から来た質問であり、彼の質問がマタイ21:13を前提としていることは明らかです。

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マタイ 21:13
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」

これを理解するために、主イエス・キリストが「~と書いてある」と言ったことに注意してください。それゆえ、キリストは聖書の書かれた部分を引用していました。

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イザヤ書 56:7
わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。

主の家は祈りの家となるでしょう。神のこの特定の宣言は、歴代誌の書と列王記上にも記録されています。国家への預言者エレミヤも同様に、神の祈りの家を強盗や泥棒の巣穴に変える人が本当にいるだろうと予言しました。

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エレミヤ書 7:11
わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目には強盗の巣と見えたのか。そうだ。わたしにも、そう見えていた。・・主の御告げ。・・

ですから、主イエス・キリストによって言われる前でさえ、預言者エレミヤによってすでに預言されていました。

キリストが仰せられたのは、

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マタイ 21:13

そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」

主は聖書を引用していました。それはもともと主から来たのではありません。主イエス・キリストが御父の御言葉を宣べ伝えるために御父から遣わされたことを思い出してください。それが、旧約聖書に主イエス・キリストによって繰り返された御父の宣言があったことが理由です。

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ヨハネ 12:49
わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。

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ヨハネ 12:50
わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」

私たちは、主イエス・キリストが語ったことは何でも、それらがまさに御父の御言葉であったと確信することができます。

キリストは、彼らが神の家を作ったと仰せられました。それは祈りの家、泥棒の巣であり、両替商や鳩、子羊などの売り手の商店になったからです。鳩と子羊はユダヤ人が祭壇で供えていたものであったことを思い出してください。そのため、主イエス・キリストの時代のそれらの商人たちはそれらの品を簡単に買えるようにしたので、神の祈りの家は泥棒の巣穴と化しました。

さて、なぜ祈りの家はもうないのですか?この質問は、歴史に、霊的に少し触れなければなりません。

主イエス・キリストの時代、西暦40年前後。 。 。なぜ40 A.Dと言ったのですか?それは、現在のカレンダーであるローマ暦が間違っているためです。約5年または6年ほど遅いのです。ローマ暦では、既に2025年または2024年であるはずの2019年であることを示しています。

実際に生まれたのは何年ですか?
ZENIT 国際情報共同通信社

Dionysius Exiguus が中世のキリストの生年月日を計算したとき、彼はキリスト降誕の年を西暦1年と命名し、イエスの生年月日はその年の12月25日であると述べました。この直前の年は紀元前1年でした。数学的に無知なのか、誤った設計からなのか、彼は零年を含めませんでした。

問題をさらに複雑に、Dionysius は計算に誤りを犯したようです。聖書がキリストの誕生の時に生きていたと言われているヘロデ大王は、紀元前4年に亡くなりました。Josephus の報告に基づいています。マタイの福音書によれば、ヘロデが占星術の学者たちを騙し、子ども(主キリスト)の元へ自分を導かせることが出来なかった時、ベツレヘムのすべての男児の虐殺を命じました。ヘロデの命令(福音の外では証明されていないが、彼の歴史記録と一致しています。)は、2歳未満のすべての赤ちゃんを殺すことであったため、この出来事はキリストの生後2年以内に起こりました。これがヘロデの人生の終わり近くに起こったと仮定すると(そうであるように思われます)、これは今のカレンダーから数えると、紀元前5年または6年がキリストの誕生となっているのです。

現実には、キリストは紀元前1年に生まれたのではありません。歴史家が私たちに信じさせようとしていることとして、上記の記事は、紀元前6年にキリストの誕生を、紀元前6年、紀元前9、紀元前8、紀元前7.、紀元前6、紀元前5、紀元前4、紀元前3.と数えなければならないという事実を考慮して、紀元前6年にキリストの誕生として、そこから始まって数えるとその次の年が紀元前2、紀元前1、0年、西暦1のように続きます。したがって、私たちのカレンダーは現在、ほぼ6年分ほど遅れています。

カトリック教徒の推定によると、主イエス・キリストがエルサレムにいたとき、私たちが今持っているカレンダー(ほぼ6年分不足している)を使用しようとすると、彼は33歳となります。その時、主は神殿、または祈りの家が破壊されると使徒たちに告げました。主が当時33歳だった場合、そして不足している6歳を追加しようとするなら、西暦39年または40年未満のようなものでなければなりません。

主が使徒たちに語ったのは、実際には、西暦70年のエルサレムの完全な破壊の予言的な宣言でした。神殿を破壊したローマ軍によるエルサレムでの戦争が西暦70年に起こったことを証明する事実があります。

ティトゥスの凱旋門. . .


ティトゥスの凱旋門は、フォロ・ロマーノの南東にあるローマのサクラ通りにある1世紀の名誉ある凱旋門です。西暦82年に、Domitian 帝王が兄弟のTitusの死後まもなく、西暦70年のエルサレムの包囲戦を含む、Titusの勝利を記念して建設されました。

ローマのサクラにあるティトゥスの凱旋門と呼ばれるその記念凱旋門は、西暦70年にエルサレムで実際に戦争があったことを確認しています。

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マタイ 24:1
イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。

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マタイ 24:2
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

キリストは使徒たちに神殿、または祈りの家の破壊を予告していました。

質問に答えるために、なぜ今祈りの家がないのですか?物理的には、戦争中に破壊されたため、神殿はもうありません。残っているのは、嘆きの壁と呼ばれるエルサレムの壁です。ユダヤ教の会員が祈る場所です。元の寺院はもうありません。他の寺院に置き換えられていました。エルサレムには、カトリックの建物がある岩のドームがあります。イスラム教徒に属する建物もあります。イスラム教徒、ユダヤ人、キリスト教徒が常に争っている特定の部分もあります。常に戦いがあるのです。

祈りの家、または、もともとソロモンによって建てられたエルサレムの神殿は、ローマ帝国によって引き起こされた西暦70年の戦争中に破壊されました。その破壊は、それが起こる30年前に主イエス・キリストによって予告されていました。また、預言者ダニエルによって預言されていました。

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ダニエル書 9:2
すなわち、その治世の第一年に、私、ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。

預言者ダニエルはエルサレムで荒廃が起こると予言しました。主イエス・キリストも同様に、エルサレムで起こる荒廃の憎悪を予告しました。

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マタイ 24:15
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

私たちは皆、言及されている聖地が神殿であることを知っています。主イエス・キリストは、預言者ダニエルが語ったことを引用して、その破壊を予言していました。つまり、主イエス・キリストは預言者ダニエルに言及し、ダニエルは預言者エレミヤにも言及しました。預言者エレミヤはエルサレムに降りかかるであろう荒廃についてさらに多くの情報を提供しました。

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エレミヤ書 4:11
その時、この民とエルサレムにこう告げられる。荒野にある裸の丘の熱風が、わたしの民の娘のほうに吹いて来る。・・吹き分けるためでもなく、清めるためでもない。

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エレミヤ書 4:12
これよりも、もっと激しい風が、わたしのために吹いて来る。今、わたしは彼らにさばきを下そう。

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エレミヤ書 4:13
見よ。それは雲のように上って来る。その戦車はつむじ風のよう、その馬は鷲よりも速い。ああ。私たちは荒らされる。

エレミヤが言及した「つむじ風」は、文字通りのつむじ風を指していません。文字通りのつむじ風は、特に強い場合、実際には扇風機とクレンジングのためです。文字通りのつむじ風には冷却効果があり、汚れを取り除くことができます。しかし、彼が言及した「つむじ風」は反対のことをします。それは扇風機ではない、熱をもたらすものです。そして、それは浄化するのではなく、汚物をもたらすものです。

その「つむじ風」とは何ですか?確かに、これには戦車があるので普通のつむじ風ではありません。 「つむじ風」とは、エルサレムで起こるはずの悪いことを指します。

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エレミヤ書 4:19
私のはらわた、私のはらわた。私は痛み苦しむ。私の心臓の壁よ。私の心は高鳴り、私はもう、黙っていられない。私のたましいよ。おまえが角笛の音と、戦いの雄たけびを聞くからだ。

非常に明確に、「つむじ風」はエルサレムで起こるであろう戦争を意味しました。実際、この戦争が起こり、エルサレムの破壊を引き起こしました。祈りの家と呼ばれる寺院は完全に破壊され、別の石の上に石が残っていませんでした。しかし今では、その寺院、または祈りの家は、すべて反キリストである異なる宗教の寺院に置き換えられていました。

しかし、神が聖書で教えている別の「家」があります。これは教会を象徴する家です。

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テモテ 一 3:15
それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。

今、私たちは永遠に続くことを意図した「家」を持っています。主イエス・キリストによって建てられたために破壊されない家。主は仰せられた、

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マタイ 16:18
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

この世界の力は、教会や神の家を破壊することはできません。

私たちが現在地上に持っている霊的な家は、その教義、規則、法律が完全に聖書に記録されている神の教会です。教会は永遠に存在することを意図した神の家です。

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エフェソ 3:10
これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、

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エフェソ 3:11
私たちの主キリスト・イエスにおいて実現された神の永遠のご計画に沿ったことです。

永遠の目的に従って神の多様な知恵を教えるように神から命じられた教会です。主イエス・キリストが私たちの時代の最初の世紀に建てた教会は、神が永遠なのだと運命づけられた存在です。もう破壊されることはありません。

エルサレムの最初の神の家は祈りの家でした。破壊されていて、もう無くなりました。今、私たちには永遠の別の家、教会、または神の家があります。それが祈りの家と呼ぶにはもはやふさわしくない理由です。祈る家と呼ばれるようになりました。

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ヘブライ 3:6
しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。

これをよりよく理解するためには・・・

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ヘブライ 10:21
また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。

神の家には大祭司がいます。それが主イエス・キリストです。

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ヘブライ 3:1
そういうわけですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちの告白する信仰の使徒であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。

キリストは、神の教会である神の家の大祭司です。家は教会そのものです。それは建物ではありません。コンクリート、レンガ、鋼等で作られた構造ではありません。

教会は今、神の家です。エルサレムの神の家は祈りの家と呼ばれることに同意します。しかし、それはもはや成り立ちません。 2000年前に破壊されていました。しかし、決して破壊されない家があります。神の家であり、神の教会です。

1世紀のクリスチャンたちはこう言いました、

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ヘブライ 3:6
しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。

神の教会で私たちが神の家であるなら、神の教会は祈りの家と呼ばれるべきではありません。代わりに、それは当然、祈る家と呼ばれなければなりません。

神への賛美あれ!

免責事項

この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

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Felix Manalo:終わりの、遅刻の、それとも迷子の使者?

12月 01, 2019 0 Comments


ManaloのIglesia ni Cristoが会員や、非会員にさえ教えている詐欺的な教義の1つは、Felix Manaloが終わりの日の最後の使者であるということです。この特定の主張は、彼らの公式雑誌であるPasugoにも掲載されました。

率直に言って、私はそれが大きな嘘だと言いましょう!何故なのか?キリストが「終わり」だからです。主は始まりでもあり、終わりでもあります。主は仰せられた、「私はアルファであり、オメガです。」

救われることになっている神のしもべたちを得るために神が遣わすのはキリストです。それは聖書に書かれています—神はキリストを遣わそうとしているのです。Felix Manaloが最後の使者である場合、キリストの立場はどうなるのですか?

実際、キリストの働きはまだ終わっていません。

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ヨハネ 4:32
しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」

主が言及していた食物は何ですか?

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ヨハネ 4:34
イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。

主の食物は、主を遣わした御父の御心を果たし、御父のみわざを成し遂げること。みわざはまだ終わっていません。実際、このみわざは、千年紀のキリストの治世の間、まだ進行中であり、その間にでも、主が破壊する最後の敵は「死」です。

主は、救われるであろう主のしもべたちを得るために、神から地上へ遣わされます。彼らは千年の間支配し、その後、主は彼らを天国に連れて行きます。ですから、キリストの働きはまだなされていません。

ManaloのIglesia ni Cristoの彼らがFelix Manaloに帰した「終わりの日の最後の使者」という間違った教えのフレーズは、Iglesia ni Cristoによって使用されました。Manalo のIglesia ni CristoのPasugoマガジンの1976年1月号で、これは彼らが言ったことです。


~「Manalo 兄弟は、この終わりの日における神の真の使者です。彼は予言を通して神からの選挙を持っています。」~

=====
別のPasugo誌で、Eraño Manaloによって書かれたManalo のIglesia ni Cristoが信じる主要な教義の学習番号第8で、次のように述べています。


~「Felix Manalo 兄弟:終わりの日の神の使者」~

=====
それは非常に間違っています!

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ヨハネ 6:44
わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

「終わりの日」は「終わりの日々」とは異なることに留意してください。聖書では、「終わりの日」はすでに全死者の復活の日です。それで、すでに全死者の復活の日である「終わりの日」になっているというのに、Manalo はどうやって終わりの日の使者になるのか??そして、それはすでに全死者の復活なので、Felix Manalo は誰へ遣わされるのですか?そんなんじゃ、彼を遣わす時が遅すぎますよ!

聖書が私たちに告げていることは、御父はキリストを地上へ遣わし、救われる主のしもべを得るために、彼らと共に主は千年の間地上で支配するということです。

INCにとって、キリストと地上の聖徒の千年の統治は起こらないことは明らかになっています。または、おそらく、INCの彼らはこの聖書の事実について本当に無知です。キリストが千年の間に地上で支配すると私が言ったのを聞いたとき、INCの彼らは嘲笑ってと皮肉にテレビ放送で私についてこのことで話しをました。


~Michael Sandoval:「昔の道の会員たちが気分を害しないように願っています。Soriano が「キリストの支配はこの地上にある」と言ったとき、あなたが椅子から落ちなかったことを願っています。 。 この地球が燃やされるというのに、どうしてそれが起こるのでしょうかね?」~

=====
キリストが来られるとき、地球はまだ燃えていません!千年紀が終わった後にのみ地球は燃えますが、千年紀がまだ地球上にない間はこの地球が残ります。この地球はまだここにあります。

INCの信念は、キリストが来たとき、それはすでに終わりだということです。しかし、私たちにとって、キリストの来臨はまだ終わりではありません。その来臨は、主の千年統治の最初の復活とその始まりを示しています。キリストが来られたときに復活する人々は、この地上で千年間支配します。したがって、この地球はまだ残っています。

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黙示録 20:4
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。

千年統治後はどうなりますか?

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黙示録 20:7
しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、

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黙示録 20:8
地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。

千年後、サタンは刑務所から解放されます。その千年の期間中、サタンは刑務所にいることを理解しなければなりません。

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黙示録 20:1
また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。

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黙示録 20:2
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、

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黙示録 20:3
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。

サタンは底のない穴に投げ込まれ、そこで奴は黙らされ、奴自身にも封印が施されます。しかし、千年紀の後、奴は解放されます。

私が指摘しようとしているのは、最初の復活で復活する人々と同様に、地球はキリストの千年の統治の中に存在し続けるということです。

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黙示録 5:8
彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱいはいった金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。

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黙示録 5:9
彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、

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黙示録 5:10
私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」

これらの聖句は、キリストが来られるとき、この地球はすでに燃やされているというINC牧師のマMichael Sandovalの信念に反しています。まさに、その信念は真実などではありません!

この地球が残ることをさらに証明するために、聖書は私たちに、キリストが来られるとき、一方が引き上げられ、もう一方が残されると告げています。

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マタイ 24:40
そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

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マタイ 24:41
ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

キリストが聖徒を引き上げに来られる時が訪れると、いくつもの人々が残されます。そのため、地球は存在し続けます。

実際、千年の間に地球上で起きようとしている最も素晴らしいことの一つは、すべての国で自由に福音を宣べ伝えられることです。今日、私たちはまだ全世界に福音を宣べ伝えることはできません。聖書を使っての説教できない国々があります、無理すればあなたはその国に殺されます。キリストを認めていない場所も地上のここにあります。しかし、千年紀が始まるとき、もはや全世界への福音の説教を妨げることはできません。千年の期間が来て、

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マタイ 24:14
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

それは千年の期間の終わりです。世界の終わり。

したがって、地球の破壊は、INCの牧師が信じているように、キリストの到来の間ではなく、千年後にのみ起こります。

キリストが来られるときに地球はすでに燃えているという信念は、ManaloのINCの多くの誤った教えの1つにすぎないことが非常に明確ですね。

さらに、会員に嘘を教えることもあります。その1つは、組織が実際に始まった実際の年に関するものです。彼らは、Manalo のINCが1914年7月27日に始まったと主張していましたが、実際には、彼らの組織は1913年に始まり、私はそれを証明する文書を持っています。

私は、とある招待状の写しを持っています。これは、彼らがその年、1918年当時ではもう5周年をすでに祝っていると述べてられていました。


Iglesia ni Cristo
マニラ、1918年12月

人生に平和があらんことを。

皆様方、私たちは敬意を表して、フィリピンでの「Iglesia ni Cristo」が存在してから5周年、そして教会の牧師たちと「牧師としてのFelix Manalo 兄弟が手を乗せられた儀式」への感謝祭を祝います。今年の12月25日午前8時に、トンド(マニラ)の1649番地サンデ・ストリートにある「Gloria」で開催されます。

私たちはあなたの名誉が上記の日時にて、私たちのお祝いを飾ることを望んでいます。

敬具、
Ustino Casanova
Teodoro Santiago
Federico Inocencio

=====
誰がFelix Manalo に手を乗せたのだろうか?同じパンフレットから:


~「Felix Manalo 兄弟に手を乗せることは、島の異なる教会の司教と牧師によって行われました。これらは、Alejandro Reyes, Victoriano Mariano, Gil Domingo, Guillermo Zarco, Nicolás Fajardo, Emiliano Quijano と Roque Bautistaです。」~

===== 手を乗せることは、異なる教会の司教と牧師によって行われました。手を乗せることはどういう意味ですか?それは権威を与えることを意味するのです。したがって、Felix Manaloに権限を与えたのは、異なる教会の司教と牧師でした。

それで、Felix Manalo は、彼に手を乗せた人々が司教と牧師であり、彼自身が後に悪魔の牧師と呼んだ者たちなのです。それで、どうして彼は神の使者になることができますか?事実、Manalo はそのような司祭や牧師が悪魔やサタンのもの呼ばわりして、拒否するようにと彼自身の会員たちにさえ警告しました。

Manalo は、Pasugo の1961年8月号の39ページで、



~「この出版物の最後に、カトリックの司祭とプロテスタントの牧師はサタンの牧師であるため、拒否すべきです。」~

=====
それは、Manalo が手を差し伸べた牧師たちへの感謝の欠如を示しています。彼らに手を乗せられた後である、Manaloは彼らから権威を受け取った後に、彼の会員たちに、カトリックの司祭とプロテスタントの牧師がサタンであるため、拒否するようにと望んだ。

しかし、私があなたに注意して欲しいのは、Manalo の手を乗せられたことについてです。それは1918年に起こり、彼らの5周年のお祝いが行われました。したがって、単純な算術演算は、INCが実際に1914年ではなく1913年に開始したことを証明しましょう。

別の資料によると:



~「Felix Manalo は、「世紀末」と呼ばれる時に極東洋に現れた神の最後の使者についての神の預言を成し始めました。彼は最初に、教会をAtlantic Gulf と Pacific Company の奉仕者たちに紹介しました。彼の最初の成果は、1913年後半にパシグ川で洗礼を受けました。」~

=====
彼らが1914年にだけ存在し始めたならば、彼はどうやって、1913年に彼の最初の改宗者に洗礼を授けたでしょうか? INCが1914年に始まったのが本当なら、Manalo の説教の最初の成果が1914年にバプテスマを受けたことになるのでしょうか?戯言を!彼らの組織であるManalo のIglesia ni Cristoは、1914年に存在し始めたと主張することは、もう1つの大きな嘘です!

それとは別に、Manalo のINC の牧師たちは、彼らの礼拝堂や礼拝所に神の霊が宿っていると会員たちに信じさせています。



写真の字幕には、

~「私たちは主なる神によって召され、肉体またはIglesia ni Cristoで神に仕えるように召されています。上に描かれた現代の礼拝所のように、私たちは神の霊が宿っておられる礼拝所で神を礼拝しなければなりません。」~

=====
繰り返しますが、それは真実ではありません!それは使徒パウロの言ったことに反しています。聖パウロは言った、

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使徒 17:24
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

代わりに、神は人間の心に宿っておられます。

使徒パウロは兄弟たちに言った、

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コリント 一 3:16
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

~「私たちはディリマン市に神殿があり、そこに神の霊が宿っておられることを知らないのですか?」~

とパウロは言いませんでしたよ!神の霊が彼らの礼拝堂に宿っておられると言うのは、聖書に反しています!

おそらく、私はINCの嘘とその矛盾する教えの証拠を持っている唯一の説教者です。とある兄弟によって収集された新聞の切り抜きがあります。それは、Nicolas Perez 兄弟です。彼らは後にこれらを私に委ねられました。そして、私は1939年のPasugo雑誌の写しも持っています。これらすべての参考文献を使用して、聖書の教義を暴露し、人々の心を啓発して、彼らがもう騙されないようにします。それが彼らが私に非常に怒っている理由でもあり、彼らは私を信用しないだけでなく、私を黙らせるために彼らは自分らの資源と繋がりを利用しています。

しかし、私の戦いは肉的な戦いではありません。私の戦いは、聖書が教えている真実を守ることです。そして、神の御助けを借りて、私はこの戦いを最後まで喜んで戦います。

免責事項

この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

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