マリアの母胎にではなく、永遠にてキリストの存在が始まったのである。以上。

12月 25, 2019 0 Comments


主イエス・キリストの存在はいつどこで始まりましたか?主の存在は、Manalo の Iglesia ni Cristo が信じているように、マリアによって妊娠されたときにの主の存在が始まったのでしょうか?

この宗教団体の特定の信念は、公式出版物 Pasugo に掲載されている記事で表現されています。

翻訳:
この世界が確立する前に、最初にキリストがいただろうか?答えは、天使がマリアに言ったことに基づいて明確であり、彼女は妊娠して、イエスと呼ばれる息子を生むだろうと、ルカ1:31。天使の答えから、キリストの存在は聖母マリアの胎内で始まった。


Manalo の INC は、マリアが天使に「あなたはみごもって、」と言われたときにのみ、キリストの存在が始まったと主張しています。マリアの受胎前には、まだキリストが存在していなかったことを意味してしまう。しかし、あなたがルカ1:31に記されていることを調べようとするなら、「 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。 」と、これらの節句がキリストのことはマリアの母胎から存在し始めただと別に言っていません。

科学的に言えば、人間の命は母親の母胎からではなく、父親の腰から始まります。人のは身元は父親の懐から始まります。私たちの存在の図面となる父親の遺伝子が当人の父親と母親から来るとしても、聖書的に言えば、父親から来るものはより大きな影響を及ぼします。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヘブライ 7:9
また、いうならば、十分の一を受け取るレビでさえアブラハムを通して十分の一を納めているのです。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヘブライ 7:10
というのは、メルキゼデクがアブラハムを出迎えたときには、レビはまだ父の腰の中にいたからです。
霊的および科学的に、レビはアブラハムの腰から始まりました。彼の誕生前から、彼はすでにアブラハムの腰に450年前からいたのです。これは、科学的に言えば、第7世代から第10世代までの遺伝子が含まれることを意味します

後方に。

科学によれば、生細胞は父親の23染色体と母親からの別の23染色体から形成されます。実際、骨、靭帯、肉などの細胞のように、体のすべての細胞は46の染色体があります。男性の精子細胞と女性の卵細胞のみがそれぞれ23の染色体を含んでいます。しかし、精子細胞と卵細胞が結合すると、46個の染色体を持つ新しい細胞が形成されます。この新しい細胞は後に胎児になり、9か月後には新しい人間として生まれます。私が叩き込もうとしている点は、レビはまだ450年前までに生まれていなかったが、彼はすでにアブラハムの懐にいました。つまり、すでにアブラハムにあった遺伝子は450年後にレビに継がれることになりました。それを証明する文字通りおよび科学的に、私たちの存在は母親の母胎から始まっているわけではありません。それが科学的な理由です。キリストの存在は、マリアが母胎でイエスを妊娠したときにのみ始まったと言うのは間違っています。霊的な話にも間違っています。何故なのか?キリストの存在は地球上、ここから始まったわけではないからです!

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヘブライ 10:5
ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。

聖句は主イエス・キリストに言及しています。 「この世界に来て、」とは、主がこの世界から始まったのではないという意味です。主がこの世界に来られた時、主のために体は用意されていました。それはどんな体だった?体だったそれはマリアによって宿られたものです。それがマリアから始まった体、つまりキリストの肉体でした。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヨハネ 1:14
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

キリストがこの世界から始まったのではないというのならば、どこからなのでしょうか?

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ミカ書 5:2
ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

ミカの預言によれば、ベツレヘムからイスラエルを治める者が出て、この支配者は御父が彼をもうけた永遠から来られたのです。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
詩編 2:7
「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。

御父はキリストをも生みました。そして、それは聖書的な事実の一つであり、一部の人々は信じることを拒否しています。しかし、それは真実です。世界の創造以前から御父は御自分の御子を生みました。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヨハネ 3:6
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

つまり、霊は生むことが出来るのです。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヘブライ 12:9
さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。

御父なる神は霊です。御父は「霊の父」とも呼ばれます。本質的に、神は御子を霊的存在として生み、後に天使等の霊的存在を創造したので、御父は「霊の父」と呼ばれています!

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヨハネ 4:24
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

私たちが混乱しないように、私たちは常にキリストに二つのことがあることを覚えておく必要があります。第一に、御父によって生まれた霊。第二に、マリアから生まれた肉体。この世界に来たのは、永遠にて霊的に御父が生んで下さった神の御子でした​​。そして、神の御子がこの世界に来られた時、御子はマリアから生まれたの肉体に宿られました。

Manalo の INC がその会員たちから隠しているのは、御父御自身から生まれた御子を持っておられているという聖書の真実です。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヘブライ 1:4
御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヘブライ 1:5

神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヘブライ 1:6
さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」

御父の最初に生まれたのはキリストであり、主はこの世へ遣わされただけです。主は永遠から来られたので、主は地上で始まったのではありません。

さて、キリストが御父によって生み出された時、または遣われる前のキリストはどこにおられましたか?

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO

ヨハネ 1:18
いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

キリストは御父の懐から来られました。御子は御父のひとり子です。

The New American Standard Bible は、ギリシャ語聖書に準拠しているため、ヨハネ 1:18の表現が優れています。それはこう言われています。

No one has seen God at any time; the only begotten God, who is in the bosom of the Father, He has explained Him.

ギリシャ語の原典では、「the only begotten God.」と書かれています。

IΩANNHN 1:18 (Greek Wescott-Hort Transliterated):

Theon oudeis eoraken popote monogenes theos o on eis ton kolpon tou patros ekeinos exegesato.

“MONOGENES THEOS” = 生まれた神

キリストは御父の懐におられたのです。永遠にて、主は御父の存在の一部でした。しかし、御父が主をお生みになられる必要になる時が来ました。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヨハネ 17:5
今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヨハネ 17:24
父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。

世界の創造の前に、御父から来られる栄光をキリストは既にお受けになられ、それを楽しめたのです。 その栄光とは何か?それは神の御子になるという栄光です。“わたしの子、” と御父が主に仰せられたのは、キリストをお生みになられたのは御父だからです。御父が御子を生んだのです。

他の人が懐疑的であるのは、御父が男であるという理由だけで子が生めるかどうかの能力です。

実は、男が子を生めるというのは霊的と物理的に両方可能なのです。

物理的に、雄は出産することが出来ます。


翻訳:
それは魚類の中での父親となる者がする子の世話に対する一般的な僻みから生じますますが、雌よりも、雄のタツノオトシゴの方が妊娠します。この珍しい生殖っぷりは今まで発見された雄の子育ての形でした。

妊娠して出産するのは雄のタツノオトシゴです。

雄が産むことが物理的に可能ならば、霊的になるともっと可能です。神は全能だから、御父こそが全能なる神だからです。御父が御子を生むことは難しくなることだと私は思いません。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
詩編 94:9
耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。

人間は見ることも聞くこともできます。これらの機能により、私たち人類は私たち自身の視覚と聴覚を支配する原理を発見しました。これは後にカメラを発明したときに適用され、画像を撮影するレンズと、マイクという聞くものを拾ってそれを声に出す耳に基づいて発明しました。

私たち人間が、限界があるにもかかわらず、カメラやマイクなどの素晴らしい発明を思いつくことができれば、全能の神様になるとなおさらどれほどなのことでしょう! 「耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。 」ですから、「子宮を造られた方が、身ごもらないだろうか。」とも言えるでしょう。もちろん、それは神にとって非常に可能なことです。

主イエス・キリストの存在は、御父と共に永遠に始まりました。実際、御父と御子は共に世界を創造しました。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
箴言 30:4
だれが天に上り、また降りて来ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。

御父と御子が人間を含めて、全てを創造なさった方々なのです。最初の人間が創造されたとき・・・

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
創世記 1:26
そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。

“われわれに” と “われわれの” という発言は、御父は御自分と一緒にいた別の存在について話をしておられることを暗示し、それは永遠にて御父からお生みになられたご自身のの御子だったということです。

Manalo の INC が受け入れられないのは、主イエスキリストの神性さです。彼らにとって、神はただひとちであり、それは御父です。私はひとりの神がおられることに異論はありませんが、聖書の中でそのひとりの神が誰であるかを明確にしなければなりません。使用されたヘブライ語はエロヒムであり、これは神を意味する単数名詞のエロアの「複数形」です。したがって、エロヒムは神を意味します。エロヒムは言った、「われわれのかたちに、人を造ろう。」

エロヒムは単数形だけですが、エロヒムは御父だけではないということで具体化されています。音楽バンドのように。音楽バンドは1つと考えていますが、それでも複数のミュージシャンで構成されています。キーボード奏者、ギタリスト、ドラマー、バイオリン奏者、トランペット奏者などで構成されていますが、バンドと呼ばれています。家族も同じです。これは単数名詞でもありますが、家族の中には、父、母、子ども、祖父母がいます。

何を言おうとしているのでしょうか?聖書が言及している唯一の神は、ヘブライ語のエロヒムから来ました。意味は、それは御父に限定されないということです。エロヒムの中には、御父、御子、聖霊がいます。

これは Manalo の INC の 職者たちが会員に決して教えないものであると確信しています。また、キリストを「Monogenes Theos」または「ひとりの神」と呼ばれていた元の言語であるギリシャ語版のヨハネ1:18をも彼らは読もうとしません。「マリアが自分の母胎で彼を妊娠したとき、その存在は始まった」という彼らの代々からの古い教義を粉砕するからです。

しかし、私が引用した聖句は、キリストの存在がマリアの胎内で始まったのではないことを証明するのに十分です。創造の時でも御子は御父と共におられました。そして、御子は神なる存在です—聖書は御子を「ひとりの神」または「Monogenes Theos」と呼んでいます。アーメン!

免責事項

この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

0 コメント: