よく差別されているトランスジェンダー(性転換)の人々は神に受け入れられています

7月 26, 2020 0 Comments


とあるトランスジェンダーから、私たちのテレビ番組を定期的に見ることで、神と主イエス・キリストの教えを理解することができたと言われました。そして時が来て、その人は神に仕えたい、私たちのほとんどのように救われたくて、神の教会の一部になりたいという熱心な欲望をその人の心に感じたのです。

しかし、その人の性同一性のために、その人は質問をしました。自分のようなトランスジェンダーがまだ神に受け入れてもらえるかどうか、そして自分が神の教会に入ることができるかどうかを尋ねてきました。

これらの否定的な考えは、トランスジェンダーである人々について、そしてLGBTQコミュニティのメンバー全体について、そのような人たちが「まっすぐな」男性と女性にならない限り、その人たち悪魔のもので、決して救われることができないとその人が他の宗教指導者や牧師から聞きました。。神に属すると主張する説教者の口から直接そのような声明を聞くと、LGBTQ人は自分の事を救済に値しない、相応しくない人だと思い込ませられました。

しかし、それらは説教者の単なる言葉であり、神の御言葉をほとんど理解していないと私はあの人に話しました。

聖書によると、神が望んでおられるのは、すべての人が救われることです。

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テモテ 一 2:4
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

節は「すべての人(英語版では all men)」と言っているのですが、それは人類全体を網羅しています。 「まっすぐな」男性と女性だけに限定されるものではありません。LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア)コミュニティやその他の性的自己同一性が含まれます。

神は、トランスジェンダーである人々を含むすべての人々に救いの機会を与えています-例えトランスジェンダーの人がたまたま手術や過去に何らかの医療処置を受けたとしても。主に、これはその人がまだキリスト教の教義を知らなかった頃、そしてその人がまだ真実の知識を持っていなかった頃にそれらのことを犯したことであり、その人のような人々は神の教会に居場所を持っています。

実際に、教会のとある会員がかつて私に自分がトランスジェンダーであることを告白したことがあります。その人は男性として生まれましたが、教会の会員になる何年も前に、その人の性器をその人の性同一性またはその人が内部で感じる性別に一致させるための手術を受けました。したがって、その人の男性の性器は取り除かれ、女性の性器に取って代わられました。

しかし、その人は主イエス・キリストの教義を受け入れ、過去の罪がすべて赦される聖なるバプテスマを受けた後、神の憐れみを受けました。それから、その人は新たに人生を始めました。その人は以前の生活様式から背を向け、その人は神と主イエス・キリストへの忠実な奉仕に人生を費やし始めました。「まっすぐな」人であるふりをせずに、その人が理解したクリスチャンの道徳的基準を厳密に守っていました。そして、神の御助けを得て、今でも信仰を堅持しています。

神は、思いやりがあって公正で、憐れみ深い方です。神は無知故の行為に対して誰にも責任を負わせません。また、使徒パウロも神の憐れみと思いやりを体験しました。

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テモテ 一 1:13
私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。

使徒パウロは過去に重大な罪を犯しました。彼は初期のクリスチャンの冒涜者であり、迫害者でした。それにもかかわらず、彼は神から慈悲を得ました。彼はそれらすべてのことを「無意識のうちに不信仰故」に行なったので彼は赦されました。

自分が内面で感じる性別に対応する性同一性を提供した医療手続きに身を委ねたトランスジェンダーの人は、神の御言葉を理解する前の間にその人がそれらの事をやってしまった事ならば、神の憐れみを得ることができます。神の教会の管轄外。その人も「無知故」で使徒パウロが赦されたような事と同じ方法でまだ赦されます。

その人が手術を受けた場合、その人は、医者がその人の肉体に行なった変更を元に戻すことはで出来ませんし、その人はそれから取り除かれたものを復元することもできません。しかし、それは使徒パウロのように、その人がそれらの事を「無意識のうちに不信仰故」したので、救済からその人を完全に失格とはされません。

現代の多くの宗教団体が、すべての事に責任がなく、罪がないかのように、そしてすべての人が性同一性の問題を抱えていないかのように、見せかけと偽善に満ちていることをどうしょうもないのです。例えば、偽牧師や詐称者は、同性愛者や同性愛者を組織で受け入れません。何故なら、その者たちによれば、第三の性に属する人々は神ではなく悪魔によって創造されたからだそうです。

そのような残酷な宣言は、神の御心についてのその者の無知さを示​​すだけです。聖書にはそれらの主張の根拠はありません。先に引用した節によると、神はすべての人が救われて真理の知識に来ることを望んでいるので、実際には、それは聖書の言う事と逆です。

聖書は、人の性別を問わず、主イエス・キリストの教えに身を委ねた瞬間、その人は新しい人になることを教えています。

その人は、神と主イエス・キリストの教えを学び、それらを受け入れた後に神の教会の管轄に身を委ねると、その人がこれまでやっていたことをやるべきではないことを理解しなければなりません。つまり、その人はもはや同性の関係に従事するべきではない、その人はもう化粧を身に着けるべきではない、その人は品のない装飾をすべきではなく、そして、その人はもはや世俗的な喜びでその人の人生を費やすべきではありません。その代わりに、その人は主イエス・キリストの教えに従って生活を始めるべきです。

キリストに属する人は、誰もが今や新しく造られた者として見なされます。

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コリント 二 5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

そんな人たちの過去は下記の通りです

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コリント 一 6:9
あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、

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コリント 一 6:10
盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。

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コリント 一 6:11
あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。

ですから、トランスジェンダーの人が現在キリストに属するなら、その人は自動的に新しく造られた者になります。その人は今やその人の目に見える明確な,な変化があるという意味で新しく造られた者であると考えられています。必ずしも、人の外見や性同一性ではなく、その人の生き方についてです。その人はもう酒を吸ったり飲んだりせず、バーやカジノに行くことも、乱暴に話す・行動することもありません。その人の生き方は現在、キリストの教えによって懲らしめられ、主イエス・キリストの人格に倣ってその人の全体が形作られているため、その人は更生しました。トランスジェンダーの人ではあるが、この「新しく造られた者」は神に受け入れてもらえられない、と言う者はあえて愚か者だけだろう。

神は、トランスジェンダーである人々やLGBTQコミュニティの他の残りの人々を含む、神に戻る人々全員を歓迎してくださいます。その場合、その人たちは神の教会でも歓迎されます。そこでその人たちは幸せでゲイのクリスチャンになることができます。

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人気なタガログ語の諺が聖書的な変身を得る

7月 19, 2020 0 Comments


人気なタガログ語の諺「Nasa Dios ang awa、nasa tao ang gawa」(慈悲は神にあり、行動は人にある)は、人間が神から慈悲を得る前には、まず働かなければならないことを意味します。

申し訳ありませんが、聖書の御言葉ではないので、その諺には完全には従いません。その代わりに、働くのは神であり、慈悲を与えるのも神であると私たちは信じるべきです。

まず第一に、あなたが働いているとき、あなたは慈悲に値しません。あなたは報酬または補償に値します。慈悲というのは、そのためにあなたが働かずとも得るものです。

神の慈悲を得るには、まず悔い改める必要があります。その後、神はその人の内で働かれるでしょう。働くのは神です。

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コリント 一 12:6
働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

私たち人間はすべての善行を実行不可能ですが、私たち全員の中で働いているのは神です。

神は人の中で様々な働きをされます。人が心の中で善行をしたいという願望を感じ始めたら、それは神がその人の中で働いておられていることの証明、または現われです。

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フィリピ 2:13
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

神は、人々が善行をしたいという願望を与えます。今日、多くの人がやりたいことは、自分のためになることだけです。他人のために善行をすることは、常に自然的に、または自然に人の心から湧き出る訳ではないので、他人のために善行をしたいという願望で心を神が満たして下さいます。

繰り返しますが、慈悲といのは私たちが働いたからではなく、悔い改めた時に神が私たちを赦し、受け入れてくださったからです。神は私たちの内で働いておられるので、私たちは心に善行をしたいという願いを感じます。そして、神は私たちに善行をするように勧めるだけではありません—私たちがやりたいと願っている善行を成し遂げるのを助けるでしょう。神無しでは何もできないからです。

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フィリピ 2:13
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

ですから、働くのは人間だと言うのは聖書的ではありません。働くのは神であり、慈悲を与えるのも神です。人間は自分で何もできない。人間は神の御助けを必要としています。生命、力、資源、善を行う意志でさえ人間を支えているのは神です。実際、人間は一般的に、神の摂理に依存しています。

神は慈悲深い方です。実際には、仕える子にも慈悲深い普通の人間の父親よりも神は更にに慈悲深い方です。

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マラキ書 3:17
「彼らは、わたしのものとなる。・・万軍の主は仰せられる。・・わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。

神が人間から求めておられている唯一のことは、人間が神の元へ戻り、神の条例を守ることです。

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マラキ書 3:7
あなたがたの先祖の時代から、あなたがたは、わたしのおきてを離れ、それを守らなかった。わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。・・万軍の主は仰せられる。・・しかし、あなたがたは、『どのようにして、私たちは帰ろうか。』と言う。

私たちは悔い改め、神の元に戻り、神の御言葉を受け入れる必要があります。私たちが神の御言葉を受け入れたとき、それから初めて、私たちが利益を得るためにすべきこと-(神様の慈悲の方ではなく)-神からの報酬のために取り組むことが出来るようになります。神の慈悲に値するように努力するのではなく、神の報いに値するように努力すべきであることを忘れないでください。

神が人間の中で働いておられてることのもう一つの現われは、人間が過去に犯した罪を悔やみ、悔い改めた時です。

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ローマ 2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

人間を悔い改めに導くのは神の良さと優雅さです。

また、あなたが犯した罪を悔い改めたと感じる時、それはまた、あなたが神無しでは無力であると知り、あなたが服従するために自分を差し出す宛てとなる「強力な存在」を認めていることを意味します。

私たちの誠実な悔い改めは、神の慈悲に値します。それは、私たちにとって非常に重要です。覚えておいてください、ニネベの人々は彼らの違反を心から悔い改めたので、神の慈悲に値しました。神は、ご自身が持って来るつもりだった災いからニネベの人々を救いました。

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ヨナ書 3:10
神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。

あの時までに、ニネベの人々は誤りへ導かれていました。彼らは、ソドムとゴモラの人々のように暴力と性犯罪に従事していました。

彼らに降りそうな差し迫った破滅について警告するために、彼らの元へ神が預言者ヨナを遣わされたのはそのためです。預言者の言葉を聞くと、ニネベの人々はすぐに悔い改めました。彼らは悪事から離れ、断食し、熱心に祈りました。

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ヨナ書 3:5
そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。

ソドムとゴモラの人々は非常に罪深い生活を続けました。それ故、彼らには硫黄と火が降り注いだのです。

しかし、彼らとは異なり、ニネベの人々は神を認め、悔い改め、邪悪から背を向けたので、神の罰から免れました。

私たちも神の慈悲に値するように、この世代の人々がニネベの人々がしたことをするように願っています。今日の世界を悩ます汎流行からも免れるためです。

働くのは神です。慈悲を与えるのも神です。そして、神の慈悲によって私たちは救われることが出来ます。

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キリストの来臨と裁きの日についての誤解に光を当てること

7月 12, 2020 0 Comments


現在のほとんどすべての宗教に共通していることが1つあるとすれば、「主イエスキリストが戻られた時、それは主のsecond coming(二度目の来臨)であり、その日は既に裁きの日になる。」と彼らは信じています。申し訳ありませんが、そうは思いません。

まず第一に、聖書には「second coming(二度目の来臨)」という言葉はありません。 「second coming(二度目の来臨)」への信念は、ラムサ氏の無謀で誤った聖書の翻訳の結果でした。実際、現在に利用可能な聖書の多数の翻訳のうち、ラムサ翻訳版だけが「second coming(二度目の来臨)」という用語を使用しました。他のすべての翻訳は使用しませんでした。残念なことに、ラムサ氏は多くの宗教に影響を与え、誤解を与えました。そのため、現在多くの人々が、キリストの地上への来臨が主のsecond coming(二度目の来臨)であると考えています。

主イエス・キリストが再び来ることは確かですが、それは主のsecond coming(二度目の来臨)でも、すぐに裁きの日になることでもありません。キリストは再び来られます。主が戻られた時、主は死者全員ではなく、主のうちにいた人たち、つまり主の教えを成就して死んだ人たちだけを蘇らされます。これは、第一の復活と呼ばれています。しかし、地上でのキリストの千年間の支配がまだ残っているため、それはまだ最後の裁きの日にはなりません。

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黙示録 20:6
この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

第一の死者の復活は、キリストが戻られた時に実現されます。第一の復活の一部となる人々は、神とキリストにあっての祭司になり、彼らは地上で主と共に千年の間支配します。

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コリント 一 15:24
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。

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コリント 一 15:25
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

千年の間、キリストはすべての支配、すべての権威、すべての力を従わさせなければなりません。。主はすべての悪を打ち負かします。

千年の間の後に最後の裁きの日が来ます。キリストが裁きをなされます。

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コリント 二 5:10
なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

私たちは主の来臨に備えなければなりません。祝福されたと見なされる人々の中にいるためには、主が来られたとき、私たちが御心を行なっていることを主に見られることが非常に重要です。

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マタイ 24:46
主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。

主イエス・キリストが天国に昇られる前に、主は使徒たちに、すべての国々に主の戒めを教えるという特定な指示を残しました。

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マタイ 28:20
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

キリストは、私たちに主のすべての戒めを守ってほしいと望んでおられます。イエスが戻られた時に私たちが主の教えと戒めを満たしていることを見られたら、私たちは祝福された者と見なされます。

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黙示録 22:12
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。

そうです。キリストは再び来られます。しかし、繰り返しになりますが、主は既に2回以上も地球に来られていましたので、主のsecond coming(二度目の来臨)にはなりません。例えば、イスラエル人たちが荒野にいた間、主は彼らを追っていて、岩の形で主はご自身を彼らに示しました。

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コリント 一 10:3
みな同じ御霊の食べ物を食べ、

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コリント 一 10:4
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

主イエス・キリストは、イスラエル人たちに続く岩であり、荒野にいる間に彼らに水を飲ませる岩でした。つまり、主が肉体で現れる前に、主は既に(岩の形で)地上に来ていました。

主が地上に来られたもう一つの例は、私たちを罪から贖うために人間の形を取っておられ、マリアが主を産んだ時でした。

なので、主が再び次に来られる時、それは主のsecond coming(二度目の来臨)ではありません。

実際、私が引用した例に加えて、キリストは既に何度も地球に降りては、天国に昇っていたのです。

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箴言 30:4
だれが天に上り、また降りて来ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。

私たち全員が知っているように、すべてのものは神と神の御子によって創造されました。そして、創造の間、キリストは地上に降りたり、天に昇られたりしました。ですから、キリストが次に再臨された時、それはキリストのsecond coming(二度目の来臨)ではないという意味です。

主イエス・キリストは再び来られます。それは間違いありません。しかし、それが主の3度目、4度目、または5度目の「来臨」かどうかについては、正確には分かりません。しかし、一つ確かなことは、それが主のsecond coming(二度目の来臨)でも、最後の裁きの日にもならないということです。

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愛することは、他人を安全に生きるようにさせること

7月 06, 2020 0 Comments


新型コロナウィルスの汎流行が人類に脅威を与え続けている今、全世界は全く無力です。専門家はこの疾患に適切な薬とワクチンを見つけることを目的とした臨床試験と研究の実施を決して止めませんが、世界の健康危機は少なくとも近い将来までにはまだに終わらないようです。

人間ができることには限界があるので、私たちが今必要としているのは神の介入であることは間違いありません。人間の制御に及ばないものがありますが、それらは神によって制御可能です。そして、人間の能力を超えているものがありますが、それらは全能の神によって簡単に処理できます。

数え切れないほどの機会に、神は信者と非信者の両方にご自身の全能さと御力を証明しました。例えば、モーセの時代には、多くの驚くべき神の行ないがエジプト人によって目撃されました。パロがイスラエル人を解放することを拒否したとき、神はパロの家臣を含むすべてのエジプト人の家庭を満たしたエジプトの国にアブの群れを送りました。パロはモーセに呼びかけ、アブたちを追い払うよう神に懇願するようにモーセに要求しました。モーセはパロがイスラエル人をすぐに解放するという条件に同意しました。

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出エジプト記 8:31
主はモーセの願ったとおりにされたので、あぶはパロとその家臣およびその民から離れた。一匹も残らなかった。

当時のエジプトの国がどれほど強力だったかを考えると、それでもアブの群れを追い払うことはできませんでした。しかし、モーセが神に祈ったとき、すべてのアブたちは追い払われ、アブは一匹も残されませんでした。

アブは神の創造物です。すべての生き物の創造者として、神はそれらのすべてを完全操作する御力を持っておられます。このように、アブたちだけではなく、パロがイスラエル人を解放するという自分の約束を破り続けたことでエジプトのすべての土地の上に上がったイナゴたちさえ追い払った。

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出エジプト記 10:19
すると、主はきわめて強い西の風に変えられた。風はいなごを吹き上げ、葦の海に追いやった。エジプト全域に、一匹のいなごも残らなかった。

神からの単純な命令で、強力な西風が吹き、イナゴを追い払い、葦の海に追いやりました。

間違いなく、神の無限の御力によって、神は今の世界に蔓延するこの新型コロナウイルスに対しても同じことをすることができます。神はウィルスを追い払い、おそらく別の惑星に投げ込むこともできます。どうでしょう?すべてのウイルスは、神の御力に抵抗するには小さすぎます。

但し、私たちが最初に、私たちの違反に対する真の悔い改めと、神の教えを受け入れ、守る意欲を神に示しましょう。そして、神は私たちの誠実さを見て、確実に私たちに憐れみをお与え、私たちをこの疫病から救って下さいます。。

悪病と疫病は人間の罪深さの結果として起こります。だからこそ、私たちの誠実な悔い改めは、この疫病を終わらせる上で神が考慮すべき要因となり得るのです。ニネベの人々がしたことだけを倣えば、疑いもなく、彼らがしたように私たちも神の憐れみに値するでしょう。

彼らが預言者ヨナから神が彼らを滅ぼすことを知ったとき、ニネベの人々は時間を無駄にしませんでした—彼らは彼らの不正を悔い改め、断食し、彼らの邪悪な道を背き、熱心に神に祈りました。神がニネベの人々がしたことを王から市民の最も低い人までを見たとき、神は彼らに降りかかるはずの破壊を差し控えたのです。それで、ニネベ全体が救われました。

これが、私が絶え間なく祈るように皆に常に訴えかけている理由です。神が最強であるため、神の憐れみを呼び起こしてみましょう。神だけがこの汎流行から私たちを救うことができます。神だけが、致命的なコロナウイルスを追い払い、根絶する御力さえ持っています。

現在、死者の数は依然として数千人にのぼり、新型コロナウィルスで亡くなった人々が適切な埋葬を受けられなくなった場所もあります。

実際、そのようなことが起こったのはこれが初めてではありません。聖書でさえ、死亡後にもはや埋葬されなくなった人々がいて、彼らの愛する人は彼らの死を嘆き悲しむ機会が与えられなかったと述べています。

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エレミヤ書 25:32
万軍の主はこう仰せられる。見よ。わざわいが国から国へと移り行き、大暴風が地の果てから起こる。

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エレミヤ書 25:33
その日、主に殺される者が地の果てから地の果てまでに及び、彼らはいたみ悲しまれることなく、集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。』」

人類は、以前の疫病の間、具体的にはスペインのインフルエンザと腺ペストの襲撃中に、伝統的な葬儀や埋葬式を行わずに死者全員を集団墓地に葬ったときに、これらを既に経験していました。同様に、家族は亡くなった愛する人たちを嘆き悲しむ機会を与えられませんでした。そして、私たちの世代にも同じことが起こる可能性が非常に高いのです。

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コヘレトの言葉 3:15
今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。

過去に起こったことは再び起こります—過去に起こった善悪が人々に再び起こる可能性があります。それはすべて、私たちの創造主に対する態度と私たちが神をどのように考えているかにかかっています。私たちが熱心で神に反抗していると、悪いことが繰り返されます。しかし、私たちが神の元に戻って、私たちの真の悔い改めと神に従いたいという願いを神に示したなら、良いことが繰り返されます。

今の世界は、新型コロナウィルスと戦うことができるワクチンを見つけることに絶望的であることがわかります。しかし、まだ何も見つからない間に私たちにできる最善のことは、宗教を除けば、政府によって課された健康手順を遵守し、祈ることです。つまり、私たちのこの存在物語の非常に困難な章を克服できるよう、神の御心でこの汎流行を生き抜くことができるように祈りましょう。しかし、神の御心がそうでなければ、私たちの人生は神の御手にかかっているので、私たちは心からそれを受け入れるべきです。その上、全能の神はご自身のしもべたちのために何が良いかを知っておられますから。。

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ローマ 8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

神は、神を愛する人のためにすべてのものを変えることができます。神を愛することは神の戒めに従うことであり、その一つは同胞を愛することです。

多くの国では、新型コロナウィルスで亡くなったすべての人を火葬することを義務付けています。おそらく、亡くなった愛する人を火葬することを誰もが望んでいるわけではありませんが、それでも伝染を止めるのを助かるための一つの方法であるので、人々は健康専門家の指示に屈する必要があります。人々が「それぞれの伝統的な埋葬の儀式を遵守せよ」主張するならば、死者を弔う人々とそれぞれの家族であろうすべての人々が感染するという大きな可能性があるからです。

実際、火葬や死体の焼却は、旧約聖書の時代に遡ります。しかし、それは別の状況の下で行なわれました。今日、新型コロナウィルスの犠牲者は、イスラエル人の時代にウイルスがより多くの人々に感染するのを防ぐために火葬されました。生きたまま火で焼かれる者たちは、卑劣な行為または邪悪な行為を犯した人々に対する神の罰でした。

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レビ記 20:14
人がもし、女をその母といっしょにめとるなら、それは破廉恥なことである。彼も彼女らも共に火で焼かれなければならない。あなたがたの間で破廉恥な行為があってはならないためである。

配偶者とその子の両方を娶る人は、神にとっては忌まわしいです。したがって、その三人は火で焼かれる死刑で処されます。

この種の罰を与えることは、神がイスラエルの人々に忌まわしい行動を取ることを抑止し、彼らが神を恐れるようにするための方法でした。

しかし、すべての死者が火で焼かれて死んだ訳ではありません。アサ王にしたように死者の遺体が埋葬された事例もあった。

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歴代誌下 16:12
それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。

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歴代誌下 16:14
そこで、人々は、彼が自分のためにダビデの町に掘っておいた墓に彼を葬り、香料の混合法にしたがって作ったかおりの高い香油や香料に満ちたふしどに彼を横たえた。そして、彼のために非常にたくさんの香をたいた。

主イエス・キリストが復活させたラザロも墓に葬られました。

現在の状況では、新型コロナウィルスが原因で亡くなった人々の火葬は、論理的で高貴なことのようです。あなたが他の人の福祉を気にかけ、本当に彼らを愛しているなら、あなたは多くの人の安全のために個人的な感情を犠牲にするでしょう。

それには聖書の根拠があります。

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コリント 一 13:3
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

同胞への愛情により、他人に感染させたくないために死体を火葬にさせる場合、あなたは非常に英雄的なことをしています。それは実際、愛情の仕草です。

自分たちの信仰と原論に堪えたことで生きたまま火に焼かれる死刑で死亡した人々もいました。彼らがカトリック信仰を受け入れることを拒否したために火に焼かれる死刑30万人、主にクリスチャンたちに起こったことのように。

実際、教える皇ヨハネ・パウロ2世が死ぬ前に、彼は、カトリック教会がそれらの人々に対して犯した残酷さについての赦しを懇願しました。 Foreign Post, March 16-20, 2000; Volume 8, No. 370. (2000年3月16日〜20日、外国郵便。第8巻、370号)に掲載されました。


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:画像の英文の日本語訳:
私たちをお赦してください。バチカン市—ローマ教皇教会の歴史において前例の無かった公の告白の中で、聖ピーター大聖堂の十字架像の前で悔い改めて抱擁した教皇ヨハネ・パウロ2世は、過去2000年間にわたる教会の罪に対すの赦しを日曜日に求めました。教皇は、特に十字軍と異端審問で火に焼かれる死刑にされた30万人に言及しました。

=====

カトリック教会に反対した人々、偽りの神々や偶像を崇拝したくない人々は異端者と見なされました。したがって、彼らは「聖なる異端審問」と呼ばれるものによって危機に瀕して焼かれました。

ですが、「死体」の火葬自体には特に問題はありません。特に、生きてる他人への愛情のために死体を火葬している場合はそうです。死の際になってもなお、愛情故に同胞のために何かをすることができました。そして、あなたは彼らを愛しているから、彼らに感染してほしくない。

他人への愛の重要性をさらに強調するために、コリント一13:3 もう一度引用させてください

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コリント 一 13:3
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

あなたが愛情を持っていれば、他人が安全に生きるようにさせます。

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