愛することは、他人を安全に生きるようにさせること
新型コロナウィルスの汎流行が人類に脅威を与え続けている今、全世界は全く無力です。専門家はこの疾患に適切な薬とワクチンを見つけることを目的とした臨床試験と研究の実施を決して止めませんが、世界の健康危機は少なくとも近い将来までにはまだに終わらないようです。
人間ができることには限界があるので、私たちが今必要としているのは神の介入であることは間違いありません。人間の制御に及ばないものがありますが、それらは神によって制御可能です。そして、人間の能力を超えているものがありますが、それらは全能の神によって簡単に処理できます。
数え切れないほどの機会に、神は信者と非信者の両方にご自身の全能さと御力を証明しました。例えば、モーセの時代には、多くの驚くべき神の行ないがエジプト人によって目撃されました。パロがイスラエル人を解放することを拒否したとき、神はパロの家臣を含むすべてのエジプト人の家庭を満たしたエジプトの国にアブの群れを送りました。パロはモーセに呼びかけ、アブたちを追い払うよう神に懇願するようにモーセに要求しました。モーセはパロがイスラエル人をすぐに解放するという条件に同意しました。
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出エジプト記 8:31
主はモーセの願ったとおりにされたので、あぶはパロとその家臣およびその民から離れた。一匹も残らなかった。
当時のエジプトの国がどれほど強力だったかを考えると、それでもアブの群れを追い払うことはできませんでした。しかし、モーセが神に祈ったとき、すべてのアブたちは追い払われ、アブは一匹も残されませんでした。
アブは神の創造物です。すべての生き物の創造者として、神はそれらのすべてを完全操作する御力を持っておられます。このように、アブたちだけではなく、パロがイスラエル人を解放するという自分の約束を破り続けたことでエジプトのすべての土地の上に上がったイナゴたちさえ追い払った。
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出エジプト記 10:19
すると、主はきわめて強い西の風に変えられた。風はいなごを吹き上げ、葦の海に追いやった。エジプト全域に、一匹のいなごも残らなかった。
神からの単純な命令で、強力な西風が吹き、イナゴを追い払い、葦の海に追いやりました。
間違いなく、神の無限の御力によって、神は今の世界に蔓延するこの新型コロナウイルスに対しても同じことをすることができます。神はウィルスを追い払い、おそらく別の惑星に投げ込むこともできます。どうでしょう?すべてのウイルスは、神の御力に抵抗するには小さすぎます。
但し、私たちが最初に、私たちの違反に対する真の悔い改めと、神の教えを受け入れ、守る意欲を神に示しましょう。そして、神は私たちの誠実さを見て、確実に私たちに憐れみをお与え、私たちをこの疫病から救って下さいます。。
悪病と疫病は人間の罪深さの結果として起こります。だからこそ、私たちの誠実な悔い改めは、この疫病を終わらせる上で神が考慮すべき要因となり得るのです。ニネベの人々がしたことだけを倣えば、疑いもなく、彼らがしたように私たちも神の憐れみに値するでしょう。
彼らが預言者ヨナから神が彼らを滅ぼすことを知ったとき、ニネベの人々は時間を無駄にしませんでした—彼らは彼らの不正を悔い改め、断食し、彼らの邪悪な道を背き、熱心に神に祈りました。神がニネベの人々がしたことを王から市民の最も低い人までを見たとき、神は彼らに降りかかるはずの破壊を差し控えたのです。それで、ニネベ全体が救われました。
これが、私が絶え間なく祈るように皆に常に訴えかけている理由です。神が最強であるため、神の憐れみを呼び起こしてみましょう。神だけがこの汎流行から私たちを救うことができます。神だけが、致命的なコロナウイルスを追い払い、根絶する御力さえ持っています。
現在、死者の数は依然として数千人にのぼり、新型コロナウィルスで亡くなった人々が適切な埋葬を受けられなくなった場所もあります。
実際、そのようなことが起こったのはこれが初めてではありません。聖書でさえ、死亡後にもはや埋葬されなくなった人々がいて、彼らの愛する人は彼らの死を嘆き悲しむ機会が与えられなかったと述べています。
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エレミヤ書 25:32
万軍の主はこう仰せられる。見よ。わざわいが国から国へと移り行き、大暴風が地の果てから起こる。
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エレミヤ書 25:33
その日、主に殺される者が地の果てから地の果てまでに及び、彼らはいたみ悲しまれることなく、集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。』」
人類は、以前の疫病の間、具体的にはスペインのインフルエンザと腺ペストの襲撃中に、伝統的な葬儀や埋葬式を行わずに死者全員を集団墓地に葬ったときに、これらを既に経験していました。同様に、家族は亡くなった愛する人たちを嘆き悲しむ機会を与えられませんでした。そして、私たちの世代にも同じことが起こる可能性が非常に高いのです。
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コヘレトの言葉 3:15
今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。
過去に起こったことは再び起こります—過去に起こった善悪が人々に再び起こる可能性があります。それはすべて、私たちの創造主に対する態度と私たちが神をどのように考えているかにかかっています。私たちが熱心で神に反抗していると、悪いことが繰り返されます。しかし、私たちが神の元に戻って、私たちの真の悔い改めと神に従いたいという願いを神に示したなら、良いことが繰り返されます。
今の世界は、新型コロナウィルスと戦うことができるワクチンを見つけることに絶望的であることがわかります。しかし、まだ何も見つからない間に私たちにできる最善のことは、宗教を除けば、政府によって課された健康手順を遵守し、祈ることです。つまり、私たちのこの存在物語の非常に困難な章を克服できるよう、神の御心でこの汎流行を生き抜くことができるように祈りましょう。しかし、神の御心がそうでなければ、私たちの人生は神の御手にかかっているので、私たちは心からそれを受け入れるべきです。その上、全能の神はご自身のしもべたちのために何が良いかを知っておられますから。。
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ローマ 8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
神は、神を愛する人のためにすべてのものを変えることができます。神を愛することは神の戒めに従うことであり、その一つは同胞を愛することです。
多くの国では、新型コロナウィルスで亡くなったすべての人を火葬することを義務付けています。おそらく、亡くなった愛する人を火葬することを誰もが望んでいるわけではありませんが、それでも伝染を止めるのを助かるための一つの方法であるので、人々は健康専門家の指示に屈する必要があります。人々が「それぞれの伝統的な埋葬の儀式を遵守せよ」主張するならば、死者を弔う人々とそれぞれの家族であろうすべての人々が感染するという大きな可能性があるからです。
実際、火葬や死体の焼却は、旧約聖書の時代に遡ります。しかし、それは別の状況の下で行なわれました。今日、新型コロナウィルスの犠牲者は、イスラエル人の時代にウイルスがより多くの人々に感染するのを防ぐために火葬されました。生きたまま火で焼かれる者たちは、卑劣な行為または邪悪な行為を犯した人々に対する神の罰でした。
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レビ記 20:14
人がもし、女をその母といっしょにめとるなら、それは破廉恥なことである。彼も彼女らも共に火で焼かれなければならない。あなたがたの間で破廉恥な行為があってはならないためである。
配偶者とその子の両方を娶る人は、神にとっては忌まわしいです。したがって、その三人は火で焼かれる死刑で処されます。
この種の罰を与えることは、神がイスラエルの人々に忌まわしい行動を取ることを抑止し、彼らが神を恐れるようにするための方法でした。
しかし、すべての死者が火で焼かれて死んだ訳ではありません。アサ王にしたように死者の遺体が埋葬された事例もあった。
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歴代誌下 16:12
それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。
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歴代誌下 16:14
そこで、人々は、彼が自分のためにダビデの町に掘っておいた墓に彼を葬り、香料の混合法にしたがって作ったかおりの高い香油や香料に満ちたふしどに彼を横たえた。そして、彼のために非常にたくさんの香をたいた。
主イエス・キリストが復活させたラザロも墓に葬られました。
現在の状況では、新型コロナウィルスが原因で亡くなった人々の火葬は、論理的で高貴なことのようです。あなたが他の人の福祉を気にかけ、本当に彼らを愛しているなら、あなたは多くの人の安全のために個人的な感情を犠牲にするでしょう。
それには聖書の根拠があります。
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コリント 一 13:3
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
同胞への愛情により、他人に感染させたくないために死体を火葬にさせる場合、あなたは非常に英雄的なことをしています。それは実際、愛情の仕草です。
自分たちの信仰と原論に堪えたことで生きたまま火に焼かれる死刑で死亡した人々もいました。彼らがカトリック信仰を受け入れることを拒否したために火に焼かれる死刑30万人、主にクリスチャンたちに起こったことのように。
実際、教える皇ヨハネ・パウロ2世が死ぬ前に、彼は、カトリック教会がそれらの人々に対して犯した残酷さについての赦しを懇願しました。 Foreign Post, March 16-20, 2000; Volume 8, No. 370. (2000年3月16日〜20日、外国郵便。第8巻、370号)に掲載されました。
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:画像の英文の日本語訳:
私たちをお赦してください。バチカン市—ローマ教皇教会の歴史において前例の無かった公の告白の中で、聖ピーター大聖堂の十字架像の前で悔い改めて抱擁した教皇ヨハネ・パウロ2世は、過去2000年間にわたる教会の罪に対すの赦しを日曜日に求めました。教皇は、特に十字軍と異端審問で火に焼かれる死刑にされた30万人に言及しました。
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カトリック教会に反対した人々、偽りの神々や偶像を崇拝したくない人々は異端者と見なされました。したがって、彼らは「聖なる異端審問」と呼ばれるものによって危機に瀕して焼かれました。
ですが、「死体」の火葬自体には特に問題はありません。特に、生きてる他人への愛情のために死体を火葬している場合はそうです。死の際になってもなお、愛情故に同胞のために何かをすることができました。そして、あなたは彼らを愛しているから、彼らに感染してほしくない。
他人への愛の重要性をさらに強調するために、コリント一13:3 もう一度引用させてください
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コリント 一 13:3
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
あなたが愛情を持っていれば、他人が安全に生きるようにさせます。
免責事項
この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。
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