真の礼拝は教会の集まりに出席することを越えるもの

8月 07, 2020 0 Comments

神を礼拝することは、霊と真理をもって神を礼拝することです。そして、霊と真理に主を礼拝することは、教会の集まりに出席すること、主の為に賛美歌を歌うこと、そして礼拝堂または礼拝の家の中で主の教えを聞くことだけに限定されていません。
これらの行為が神を礼拝し奉仕することの完全な意味を構成しない場合、どうすれば神を正しく礼拝し奉仕できるでしょうか。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ローマ 12:1
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

神を礼拝して仕える正しい方法は、私たちの体を生ける供え物として神に捧げることです。これは私たちの霊的な礼拝行為でもあります。

明らかに、クリスチャンに教えられている礼拝の種類は、旧約聖書のイスラエル人が実践していた礼拝の種類とはまったく異なります。当時は、神を礼拝する人々は、既に虐殺されていた牛、羊、子羊、山羊等を捧げなければなりませんでした。そして、それらの獣の血は神殿にまき散らされました。

しかし、キリスト教の神権時代において、私たちクリスチャンが神に供えるすべきものは私たち自身の体です。私たちの体は、私たちの生ける供え物と、神への合理的または霊的な礼拝としての役割を果たします。クリスチャンが神に捧げるすべきなのは金銭的な寄付だけではありません。私たちが神に捧げるべきであるもっと重要な供え物があり、それは私たち自身の体です。そうすることで、私たちは神を正しく礼拝することができます。

問題は、私たちの体を神に受け入れられる神聖な生ける犠牲にするにはどうすればよいかということです。

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ローマ 6:13
また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。

私たちは自分の体のそれぞれの部分を神の義の道具として使用し、不義や罪の道具として使用していないことを確認しなければなりません。私たちは、ヨブが自分の時代に行なったように、私たちの体を同胞のために善行に使う必要があります。

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ヨブ記 29:15
私は盲人の目となり、足なえの足となった。

つまり、苦痛を抱えている人々に救いの手を差し伸べる場合、または視覚障害者が行きたい場所にその人を導く、または案内するなどの身体障害者に対するサービスを提供する場合には私たちは既に神を礼拝することができます。つまり、体を使って他の人に仕える度に、自動的に神を礼拝しているのです。

しかし、例えば、指を使って銃の引き金を引いて人を殺したり、舌を使って他人を騙す場合や、妻や子どもを殴ったり平手打ちしたりする場合は、あなたは自分を不義の道具にしています。事実、あなたはサタンを喜ばせることをしているので、あなたはサタンに仕えていることになります。

私が指摘したいのは、例え、礼拝堂にいなくても、私たちは神にまだ礼拝し、仕えることができるということです。私たちは、家にいても、職場にいても、学校にいても、道通りにいても、他の場所にいても、神を礼拝し、仕えることができます。

使徒パウロによると、地球の創造主であり、神様である神には、人の手によって直接、仕えることができません。

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使徒 17:25
また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。

それにもかかわらず、私たちは、同胞のために義を行なうことにおいても、私たちの手だけでなく、全身を用いて神に霊的奉仕をすることができます。

今時、全世界は非常に困難な時期を経験しているので、今は私たちが神の義の道具になることができる非常に良い機会だと思います。確かに多くの人が物質的な助けを必要としていることは事実ですが、それでも多くの人が、聖書の神の御言葉からしか得られない祈りと慰めと安心の御言葉を必要としています。神の御助けがあれば、私たち自身なりに出来る少ししかないことでも、私たちが他の人にこれらのことを提供する器になることができると私は確信しています。アーメン。

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