神様と主イエス・キリストは常に忙しい

8月 23, 2020 0 Comments


普通の人間として、私たちは時々、御父と主イエス・キリストが今天国で何をしているのか?何が彼らを忙しくしているのか?を知りたいと思いますね。

彼らは、私たちが地球上で行なっていることを単に見ているだけでしょうか?あるいは、彼らは人類に関係する非常に多くの差し迫った問題に対応するのに忙しいのでしょうか?

聖書のいくつかの聖句を参照することで、私たちはそれらに没頭している事柄についての考えられることがあります。主イエス・キリストから始めましょう。

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ヘブライ 8:1
以上述べたことの要点はこうです。すなわち、私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、

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ヘブライ 8:2
人間が設けたのではなくて、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。

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ヘブライ 8:3
すべて、大祭司は、ささげ物といけにえとをささげるために立てられます。したがって、この大祭司も何かささげる物を持っていなければなりません。

現在、主イエス・キリストは天国にいて、神の御座の右手に座しておられています。私たちが主キリストが主の王座に着席または着席しておられていると言うとき、私たちは主が単に文字通りずっと座っていて、何もしていないという印象を持つべきではありません。

王座に座るということは権力を持つことを意味します。したがって、主イエス・キリストは権力の座におられます。そして、主の役割は、成し遂げられる必要がある非常に多くの義務と責任を伴います。

主イエス・キリストが果たす義務の一つは、大祭司の義務です。主は私たちの大祭司であるため、天の祭壇で贈り物や犠牲をささげることを使命とされています。

イスラエル人の時代には、彼らは罪の赦しのために山羊、羊、牛をささげ、それらのささげ物を受け入れたのは祭壇で神にささげる大祭司でした。

キリスト教の神権時代において、その任務を遂行するのは主イエス・キリストです。何故なら主は私たちの大祭司だからです。天国には神様が建てておられた神殿と祭壇があります。そして、羊や牛ではなく、それは主イエス・キリストがご自身のしもべである彼らの祈り、賛美、賛美歌、誓い、そして感謝祭の供え物を神に示されたそれらはその祭壇の中にあります。

主イエス・キリストは私たちの神への仲介者としての役割を果たしておられています。主は私たちのためにとりなします。罪人である私たちは神に近づく価値がないので、私たちは神のとりなしを必要としています。しかし、キリストの仲介を通して、神は私たちの捧げ物を受け入れてくださいます。したがって、私たちの罪は許されています。

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ヘブライ 13:15
ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

KING JAMES VERSION
HEBREWS 13:15
By him therefore let us offer the sacrifice of praise to God continually, that is, the fruit of our lips giving thanks to his name.

英語版のその節の代名詞「彼(he)」は主イエス・キリストを指します。主によってと主を通して、私たちの賛美と感謝は神に届くことができます。何故なら、キリストは神と人との間の唯一の仲介者だからなのです。

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テモテ 一 2:5
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

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テモテ 一 2:6
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。

私たちが配偶者に与える愛、仲間への援助、家族への支援と世話、そして私たちが行なうすべての良い働きを含む、私たちのすべての犠牲と捧げ物は、主イエス・キリストによって神へ示されます。これらに加えて、聖書は同様に供え物とみなしている誓約、断食、献金、慈善事業、および神のしもべの祈りがあります。

大祭司の職務以外にも、主イエス・キリストが忙しいこともあります。

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ヘブライ 1:13
神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」

神が主イエス・キリストに「わたしの右の座に着く」ように仰せられた時、それは御父が主に名誉と権力の座に座らせることを意味します。主は天国と地球を王として支配する権威をキリストに与えておられています。

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マタイ 28:17
そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。

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マタイ 28:18
イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。

天と地のすべての力は主イエス・キリストに与えられました。主はすべての肉体を支配しています。

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ヨハネ 17:2
それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。

御父が主に与えた力には、人に永遠の命を与える力が含まれています。したがって、キリストの機能の一部は、永遠の命を楽しむために人間を救うことです。そして今まで、キリストはその意図の実現に向けて働いています。つまり、進行中の作業です。

他の人は、主が天国にいるときに人を救う機能をどのように果たすことができるのかと尋ねるかもしれません。

簡単です。主イエス・キリストは御使いたちを遣わし、主のしもべを害から解放します。主はまた、聖霊を遣わし、ここにいる地球上の人々に教え、導きます。そして主の御霊は、しもべらが主の福音をすべての人に広めるとき、神の説教者たちと一緒に行きます。

明確にしましょう—キリストは神の説教者たちだけと一緒に行き、すべての説教者たちと一緒にいるだけではありません。確かに、神の御言葉からお金を稼ぎ、宗教から儲かる商売をする説教者どもと主が一緒に行くことを期待しないで下さい。主は、人々が救われて永遠の命に値するように人々を神に戻すという誠実な意図を持って、忠実に福音を教える説教者たちと一緒になりますから。

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マタイ 28:19
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、

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マタイ 28:20
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

キリストは、彼らが主の教えを説教するために出かけて行った最後の使徒たちと一緒にいたであろうという保証を、初期の使徒たちに与えました。キリストの御約束の成就は、彼らが福音を説教するときに、キリストの御霊の導きを感じたパウロやバルナバのような後期の使徒たちによっても体験されました。

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ローマ 16:25
私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、

謙虚さはさて置き、私が説教するとき、私がさまざまな人々の信仰の質問に答えるとき、そして、私がキリスト教の信仰を擁護するときはいつでも、私はキリストの御霊の導きを証言することもできます。

もう若くないので、忘れがちになることもあります。引用したい聖書の特定の書の特定の章や節を簡単に思い出せないことが時々ありました。しかし、それが起こるときはいつでも、キリストの御霊がすぐに私の助けて下さり、非常に迅速に、私が引用したい聖句を頭に浮かび上がらせてもらっています。

いつも、私に与えられた状況にて私が人々に伝えなければならない主の御言葉を、私に供給するのに、主の御霊は決して失敗しません。そして、私は心の中で、すべての国で弟子を作るという主の命令を果たすとき、間違いなくキリストの御霊が私と共にいることを知っています。

主イエス・キリストは常に主の御約束「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」に忠実であります。そして、世界がまだ終わっていないので、その御約束は今でもまだまだ有効です。汚れのない神の教えを教える説教者たちがキリストの御霊に伴われて導かれることを期待できます。

主イエス・キリストは人々をご自身に近づけたいので、主の説教者たちが主の御言葉を人々に教える際に一緒に行きます。人々が一つの真の信仰を見つけることができるように道を見つけだして下さるのはキリストなのです。

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ヨハネ 12:32
わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」

キリストがまだ人の姿で地上におられた時、主はイスラエルでのみ説教することができました。主の人体ができることには限界があったため、主はフィリピンなどその当時、既に存在していた世界の他の部分に到達することができませんでした。主は同時にいくつかの場所にいることはできませんでした。

主がイスラエルで説教していた当時、フィリピンはすでに存在していたと言われています。文書に基づいて、イフガオのフィリピンの棚田は今から3000年前に建設されたからです。キリストが2000年前に地上で説教しておられたため、主が説教していた当時でも、フィリピンのイフガオの棚田が長い間に既に存在していたことを意味します。 


しかし、天に昇る前に、主の肉体が輝かしい霊的な体に変わったとき、すべての人を主に引き寄せることを約束して下さいました。その変化が実現されたとき、主は制限によってもはや妨げられませんでした。主は実際にはご自身ではなく、主が送る説教者の手段を通して、地球上のどこにいてもどんな人にも近づくことができました。そして、主は人々を主の教えに引き付けたり、引き寄せたりする原動力なのです。

非常に明確に、主イエス・キリストは天国で席を外しているのではありません。主はたくさんのことを担当するのにとても忙しいなのです。先に述べたように、主イエス・キリストは天と地を支配しておられています。これは、主がそのしもべたち、さらには天使、智天使、 熾天使たちさえをも支配していることを意味します。

天国の御使いたちは、主の指揮下にあります。実際、主は救いの相続人となる者たちを守るために御使いたちを地球に遣わしました。

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ヘブライ 1:14
御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。

天使たちは御霊を仕えていて、彼らは事故から神の民を救うように任命されています。それが彼らが守護天使と呼ばれる理由です。あなたが神に属するのなら、あなたが神を恐れるなら、あなたには守護天使がいます。

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詩編 34:7
主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。
私たちは天国で起こるすべてを正確に知っているわけではありませんが、主イエス・キリストが常に非常に忙しいことは確かです。

御父はどうでしょう、御父は同じように忙しいでしょうか?確かに、御父の方が忙しいのです。

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使徒 17:26
神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。

御父は、人間が住むために地球上のすべての国を作りました。それだけでなく、御父は私たちが生きている理由でもおられています。

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使徒 17:28
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。

神は私たちの創造主です。私たちは神に私たちの生活と存在を借りているのです。私たちは神のために存在します。神は私たちの生活を維持しておられています。神は私たちが生き残るために私たちに必要なものすべてを私たちに提供して下さっています。

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使徒 17:25
また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。

神は人生における私たちのすべての必要品の提供者なのです。神は私たちが、私たちの食糧不足に陥ることはないようにと考えています。したがって、神は作物を成長させ、豊かに収穫させます。神は私たちの空腹を満たすために海の魚を増やします。

神は自然の複雑な構造を作り、私たちが新鮮できれいな空気と水、そして全体として健康な環境を持っている私たちの生存に不可欠な生態学的調和を維持してておられています。主イエス・キリストが私たちの魂の救いを担当している間、御父は私たちが必要とするすべての物事の偉大な提供者です。

御父はまた、誰が生き、誰が死ぬかについて非常に厳しい決定を下す方でもあります。私たちは、私たちの生活が神の御手にあることを知っています。

神はまた、たとえ人々の要求がたまたま自己中心的だったり、他の人の祈りと矛盾しているとしても、人々の祈りと懇願に取りかかって下さっています。実際、人々はしばしば二つの対照的なことを求めますからね。

例えば、農夫は自分が豊富な収穫を得るために自分の作物が育つように雨が降ることを祈るかもしれません。一方、同じ村に住んでいる製塩業者は、雨水が塩を溶かしてしまうので、雨が降らないようにと祈っています。彼は海の塩の生産者なので、雨の代わりに、彼の塩水が乾燥し、結晶化し、できるだけ早く収穫されるように、太陽の灼熱の熱を祈ります。私たちは、御父が人間だけの祈りに取り組む際に直面する困難を想像することができます。

繰り返しますが、私たちは天国で実際に何が起こっているのか正確にはわかりませんが、聖書は御父と主イエス・キリストがそこにいかに忙しいかを垣間を見せてくれます。そして、彼らを忙しくさせているのは、すべて人間の利益のためであると確信しています。

神と主イエス・キリストにすべての栄光を!

免責事項

この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

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