クリスチャンたちは礼拝堂や神殿を建てるように命じられていない

8月 08, 2020 , 0 Comments

神が礼拝堂のように人の手で作られた構造物に住まわれないのなら、なぜ神はハガイ1:4-9に書かれているように、家を建てるようにイスラエル人に命じたのですか?そして、礼拝堂や神殿を建てないのであれば、どこで神を礼拝しますか?

これらは、「神が信者に神のために家を建てるように命じられた、そして、この家は礼拝堂または神殿であるかもしれない。そして、それらは神を礼拝するのに、唯一の正当な場所だ。」という考えを持っている人々からの質問です。

ソロモンが神のために神殿や家を建てたことは事実です。最初にそれを構築することを計画したのはダビデでしたが、この計画はソロモンの治世中に実現されました。

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列王記上 6:1
イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の家の建設に取りかかった。

非常に具体的な詳細は、聖句によって提供されています。ソロモンはイスラエル人がエジプトを出てから480年後に主の家を建て始めました。それはイスラエルの王として彼の統治の4年目でした。そして、それはヘブライ暦の2番目の月である月「Zif」から始まった。

その建設が完了すると、ソロモンはそれを神に捧げました、そして、その間に彼らはそこに神の存在を感じたという説明がありました。

それ以来、神はモーセを通してイスラエル人に、彼らが神を礼拝したり、十分の一を払ったり、彼らの焼かれた供え物やいけにえを捧げたりする時はいつでも、神の家に行くように命じられました。

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申命記 12:5
ただあなたがたの神、主がご自分の住まいとして御名を置くために、あなたがたの全部族のうちから選ぶ場所を尋ねて、そこへ行かなければならない。

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申命記 12:6
あなたがたは全焼のいけにえや、ほかのいけにえ、十分の一と、あなたがたの奉納物、誓願のささげ物、進んでささげるささげ物、あなたがたの牛や羊の初子を、そこに携えて行きなさい。

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申命記 12:7
その所であなたがたは家族の者とともに、あなたがたの神、主の前で祝宴を張り、あなたの神、主が祝福してくださったあなたがたのすべての手のわざを喜び楽しみなさい。

それは彼らが従わなければならない法律でした。彼らは、彼らの義務と神への誓いを果たすために、エルサレムのソロモンによって建てられた主の神殿までずっと行かなければなりませんでした。

しかし、彼らの一部がエルサレムから遠く離れて住んでいた人々もいたことで、彼らが提供するのが彼らの農産物の十分の一である場合、野菜や彼らの作物の果物や他の生鮮品など、彼らはそれらの品物を神殿まで持参する必要はありませんでした。代わりに、それらをお金に変換する必要があります。つまり、最初にそれらの品物を販売する必要があり、それらの商品の販売から調達する金額をエルサレムに持ち込む必要があります。

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申命記 14:24
もし、道のりがあまりに遠すぎ、持って行くことができないなら、もし、あなたの神、主が御名を置くために選ぶ場所が遠く離れているなら、あなたの神、主があなたを祝福される場合、

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申命記 14:25
あなたはそれを金に換え、その金を手に結びつけ、あなたの神、主の選ぶ場所に行きなさい。

残念なことに、時が経つにつれ、イスラエル人は礼拝し、祈り、供え物を主に供えていた主の神殿または家の世話を怠りました。彼らの過失故に、主の家は捨てられて荒廃しました。

イスラエル人の過失による神の家の破壊という周囲の状況は、ハガイ1:4-9での神の宣告の背後にありました。

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ハガイ書 1:4
「この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。

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ハガイ書 1:5
今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。

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ハガイ書 1:6
あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。

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ハガイ書 1:7
万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。

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ハガイ書 1:8
山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる。

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ハガイ書 1:9
あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。それはなぜか。・・万軍の主の御告げ。・・それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ。

主は、イスラエル人が実際に離れ離れになっているのを見ても気にならなかったので、神の家を当たり前のようなものだと見なした一方、それぞれの彼ら住居は細かく建設され、よく管理されてたことに対する神の憤りをイスラエル人に表明しました。

最終的に、イスラエルのこの神殿または宮は破壊されました。主イエス・キリストご自身は、マタイ24:15でその破壊を予言しました。

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マタイ 24:15
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

主イエス・キリストは、預言者ダニエルによって話された、聖地での忌まわしい荒廃について言及しました。この予言は、エルサレムの神殿の差し迫った破壊に言及していました。主イエスキリストによると、それは完全な破壊となり、「石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。 」と。

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マタイ 24:1
イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。

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マタイ 24:2
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

私たちの考えが「神を礼拝することは神殿や礼拝堂でしかできない」としたら、エルサレムの神殿で起こったことのように破壊されたとしたらどうでしょうか?

神殿が全滅したからといって、神を礼拝することができなくなったということですか?そうではないはずです。真実は、神殿や礼拝堂に行かなくても神を礼拝できることです。

主イエス・キリストがサマリア人の女性がヤコブの井戸にて彼女と会話したときに彼女に言及したことにより導かれましょう。

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ヨハネ 4:20
私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」

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ヨハネ 4:21
イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。

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ヨハネ 4:22
救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。

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ヨハネ 4:23
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

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ヨハネ 4:24
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

主イエス・キリストはサマリヤ人の女性に、神を礼拝するために山やエルサレムに行く必要がない時が来ると告げられました。そして、真の礼拝者が霊と真理で御父を礼拝する時も来ること。主イエス・キリストが話していた「時」こと、サマリア人の女性と話している間、まさにその瞬間にその予言が始まりました。

つまり、その瞬間に、神を礼拝したい人は、自分の家でも神を礼拝できるので、礼拝堂や神殿などの指定された場所に行く必要が無くなります。

そして実際には、神を礼拝するとき、スタジアムやコロシアムのような大きな会場で人々を強制的に集める必要はありません。主イエス・キリストによると、神の御名で2人または3人が集まれば、神は彼らの真ん中におられる、と。ですから、その場所とそこに集まった人々の数に関係なく、彼らが神の御名で集まっている限り、神は彼らの真ん中におられます。

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マタイ 18:20
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

これは、彼らが主イエス・キリストの教えへの信仰のためにユダヤ人によって迫害されている間に、使徒たちによって満たされました。当時の状況は彼らの安全を保証することでは無かったので、神殿に行くのではなく、彼らは、彼らの集まりを窓や扉が閉ざされた彼らの家にて保持しただけでした。そして、確かに、主イエスは彼らの真ん中に来られました。

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ヨハネ 20:19
その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」

状況が彼らと他の人々の安全を危うくしないならば、初期のクリスチャンは神殿に集まりました。しかし、状況が彼らの生活に脅威をもたらすならば、彼らは兄弟たちの家にだけ集まっていました。

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使徒 20:7
週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。

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使徒 20:8
私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。

これは、兄弟たちが神殿ではなく、家に集まり、使徒パウロの説教を聞いた時です。

主イエス・キリストが来られたとき、以前にイスラエル人によって信じられ、観察されていた多くのことを主キリストが修正して下さったことを理解する必要があります。それらの1つは、使徒パウロによって使徒17:24で言及されました。

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使徒 17:24
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

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上記の聖句で、使徒パウロは、神は天と地の主であり、世界とその中にあるすべての創造主でありため、神は人の手によって造られた神殿にとどまらないと仰せられました。しかし、マナロ氏のイグレシア・ニ・クリスト(INC)は、使徒パウロが宣言したことに同意しないようです。彼らの公式出版物で表明されているように、彼らは神の霊が礼拝堂や礼拝所に宿っていると信じているからです。

:英文:
We are summoned by the Lord God to serve Him in the Body or the Church of Christ. We have to worship Him in the house where His Spirits dwells, like the modern house of worship pictured above.

:翻訳:
私たちは主なる神に召され、からだまたはキリストの教会で彼に仕えます。私たちは、上の写真に写された現代の礼拝の家のように、彼の霊が住む家で彼を崇拝しなければなりません。

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聖書の神の御言葉を根拠として使用すると、マナロ氏のINCは、神の霊が礼拝の家に宿っていることを、彼らにとってどれほど壮大に見えても、かなり誤解していることは明らかです。

確かに、過去、特にイスラエル人の時代には、神の御霊が集まりに来られ、家や神殿に住まわれました。しかし、主イエス・キリストが来られたとき、集会はもはや神殿や礼拝所に限定されなくなりました。主イエス・キリストが来られた時、神権に変化があったことを忘れないでください。モーセから、今や神権を握っているのは主イエス・キリストです。ですから神権に変化があったので、法律にも変化がありました。

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ヘブライ 7:12
祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりませんが、

それが、主イエス・キリストが初期のクリスチャンたちに、神を崇拝して集会を開催するための礼拝堂や寺院を建てるように指示したことを述べている節が聖書にない理由です。

神権が変更された時、契約も変更されました。

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ヘブライ 8:7
もしあの初めの契約が欠けのないものであったなら、後のものが必要になる余地はなかったでしょう。

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ヘブライ 8:8
しかし、神は、それに欠けがあるとして、こう言われたのです。「主が、言われる。見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。

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ヘブライ 8:9
それは、わたしが彼らの先祖たちの手を引いて、彼らをエジプトの地から導き出した日に彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主は言われる。

神は新しい契約を作りました、そして、この新しい契約は主キリストが地上に来られたときに主イエス・キリストによってもたらされました。しかし、純粋に肉体的な条例であったモーセの神権期間中の契約とは異なり、主イエス・キリストの神権の下の契約は、より霊的な側面にあります。

ですから、キリスト教の神権時代において、礼拝やその他の集会が開かれるべき場所はもはや問題ではありません。事実、1世紀後半のクリスチャンたちは兄弟の家にも集まりました。

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ローマ 16:3
キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。

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ローマ 16:5
またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。

プリスカとアクラは夫婦でした。二人とも神の従者でした。そして、彼らの家は教会の集まりの場として役立っていました。

ラオデキアの兄弟たちは、同様に別の兄弟の家に集まりました。

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コロサイ 4:15
どうか、ラオデキヤの兄弟たちに、またヌンパとその家にある教会に、よろしく言ってください。

クリスチャンたちは神殿や礼拝堂を建てるように命じられていません。何故なら、彼らは家の中や借りた場所でさえ集会を開くことができるからです。実際、キリストの使徒の間には、誰も神殿や礼拝堂を建てず、兄弟たちに建てるようにとも指示されませんでした。彼らは、主イエス・キリストが仰せられたように、真の礼拝者はもはや長い旅をして、神を礼拝するために指定された場所に行く必要がないと仰せられました。彼らは、霊と真理で父を礼拝するべきだからです。

主イエス・キリストの特定の布告が現在より適切であると言えます。特に、今時、人類全体が危機を経験しています。

汎流行があります。人々はウイルスの伝染を防ぐために自分の住居から出ることを思いとどまり、他の国では公共検疫と閉鎖が実施されています。

このような状況を考えると、礼拝堂や礼拝所に行くよりも、それぞれの家で神を礼拝するほうが賢明だと思います。

Members Church of God International(国際的・神の教会の会員たち)に関係ある限り、閉鎖、公共検疫、政府による旅行制限にもかかわらず、私たちはまだまだ神を礼拝し、会衆の一定の集まりを行なうことができます。会員たちが安全であるそれぞれの住居にです。私たちは、現代の通信技術を使用して集まることができます。

このようにして、私たちは政府の政策を順守することができ、同時に主イエス・キリストが仰せられたこと・・・

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ヨハネ 4:23
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

を実現することができます。 アーメン!

免責事項

この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

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