よく差別されているトランスジェンダー(性転換)の人々は神に受け入れられています


とあるトランスジェンダーから、私たちのテレビ番組を定期的に見ることで、神と主イエス・キリストの教えを理解することができたと言われました。そして時が来て、その人は神に仕えたい、私たちのほとんどのように救われたくて、神の教会の一部になりたいという熱心な欲望をその人の心に感じたのです。

しかし、その人の性同一性のために、その人は質問をしました。自分のようなトランスジェンダーがまだ神に受け入れてもらえるかどうか、そして自分が神の教会に入ることができるかどうかを尋ねてきました。

これらの否定的な考えは、トランスジェンダーである人々について、そしてLGBTQコミュニティのメンバー全体について、そのような人たちが「まっすぐな」男性と女性にならない限り、その人たち悪魔のもので、決して救われることができないとその人が他の宗教指導者や牧師から聞きました。。神に属すると主張する説教者の口から直接そのような声明を聞くと、LGBTQ人は自分の事を救済に値しない、相応しくない人だと思い込ませられました。

しかし、それらは説教者の単なる言葉であり、神の御言葉をほとんど理解していないと私はあの人に話しました。

聖書によると、神が望んでおられるのは、すべての人が救われることです。

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テモテ 一 2:4
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

節は「すべての人(英語版では all men)」と言っているのですが、それは人類全体を網羅しています。 「まっすぐな」男性と女性だけに限定されるものではありません。LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィア)コミュニティやその他の性的自己同一性が含まれます。

神は、トランスジェンダーである人々を含むすべての人々に救いの機会を与えています-例えトランスジェンダーの人がたまたま手術や過去に何らかの医療処置を受けたとしても。主に、これはその人がまだキリスト教の教義を知らなかった頃、そしてその人がまだ真実の知識を持っていなかった頃にそれらのことを犯したことであり、その人のような人々は神の教会に居場所を持っています。

実際に、教会のとある会員がかつて私に自分がトランスジェンダーであることを告白したことがあります。その人は男性として生まれましたが、教会の会員になる何年も前に、その人の性器をその人の性同一性またはその人が内部で感じる性別に一致させるための手術を受けました。したがって、その人の男性の性器は取り除かれ、女性の性器に取って代わられました。

しかし、その人は主イエス・キリストの教義を受け入れ、過去の罪がすべて赦される聖なるバプテスマを受けた後、神の憐れみを受けました。それから、その人は新たに人生を始めました。その人は以前の生活様式から背を向け、その人は神と主イエス・キリストへの忠実な奉仕に人生を費やし始めました。「まっすぐな」人であるふりをせずに、その人が理解したクリスチャンの道徳的基準を厳密に守っていました。そして、神の御助けを得て、今でも信仰を堅持しています。

神は、思いやりがあって公正で、憐れみ深い方です。神は無知故の行為に対して誰にも責任を負わせません。また、使徒パウロも神の憐れみと思いやりを体験しました。

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テモテ 一 1:13
私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。

使徒パウロは過去に重大な罪を犯しました。彼は初期のクリスチャンの冒涜者であり、迫害者でした。それにもかかわらず、彼は神から慈悲を得ました。彼はそれらすべてのことを「無意識のうちに不信仰故」に行なったので彼は赦されました。

自分が内面で感じる性別に対応する性同一性を提供した医療手続きに身を委ねたトランスジェンダーの人は、神の御言葉を理解する前の間にその人がそれらの事をやってしまった事ならば、神の憐れみを得ることができます。神の教会の管轄外。その人も「無知故」で使徒パウロが赦されたような事と同じ方法でまだ赦されます。

その人が手術を受けた場合、その人は、医者がその人の肉体に行なった変更を元に戻すことはで出来ませんし、その人はそれから取り除かれたものを復元することもできません。しかし、それは使徒パウロのように、その人がそれらの事を「無意識のうちに不信仰故」したので、救済からその人を完全に失格とはされません。

現代の多くの宗教団体が、すべての事に責任がなく、罪がないかのように、そしてすべての人が性同一性の問題を抱えていないかのように、見せかけと偽善に満ちていることをどうしょうもないのです。例えば、偽牧師や詐称者は、同性愛者や同性愛者を組織で受け入れません。何故なら、その者たちによれば、第三の性に属する人々は神ではなく悪魔によって創造されたからだそうです。

そのような残酷な宣言は、神の御心についてのその者の無知さを示​​すだけです。聖書にはそれらの主張の根拠はありません。先に引用した節によると、神はすべての人が救われて真理の知識に来ることを望んでいるので、実際には、それは聖書の言う事と逆です。

聖書は、人の性別を問わず、主イエス・キリストの教えに身を委ねた瞬間、その人は新しい人になることを教えています。

その人は、神と主イエス・キリストの教えを学び、それらを受け入れた後に神の教会の管轄に身を委ねると、その人がこれまでやっていたことをやるべきではないことを理解しなければなりません。つまり、その人はもはや同性の関係に従事するべきではない、その人はもう化粧を身に着けるべきではない、その人は品のない装飾をすべきではなく、そして、その人はもはや世俗的な喜びでその人の人生を費やすべきではありません。その代わりに、その人は主イエス・キリストの教えに従って生活を始めるべきです。

キリストに属する人は、誰もが今や新しく造られた者として見なされます。

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コリント 二 5:17
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

そんな人たちの過去は下記の通りです

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コリント 一 6:9
あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、

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コリント 一 6:10
盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。

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コリント 一 6:11
あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。

ですから、トランスジェンダーの人が現在キリストに属するなら、その人は自動的に新しく造られた者になります。その人は今やその人の目に見える明確な,な変化があるという意味で新しく造られた者であると考えられています。必ずしも、人の外見や性同一性ではなく、その人の生き方についてです。その人はもう酒を吸ったり飲んだりせず、バーやカジノに行くことも、乱暴に話す・行動することもありません。その人の生き方は現在、キリストの教えによって懲らしめられ、主イエス・キリストの人格に倣ってその人の全体が形作られているため、その人は更生しました。トランスジェンダーの人ではあるが、この「新しく造られた者」は神に受け入れてもらえられない、と言う者はあえて愚か者だけだろう。

神は、トランスジェンダーである人々やLGBTQコミュニティの他の残りの人々を含む、神に戻る人々全員を歓迎してくださいます。その場合、その人たちは神の教会でも歓迎されます。そこでその人たちは幸せでゲイのクリスチャンになることができます。

人気なタガログ語の諺が聖書的な変身を得る


人気なタガログ語の諺「Nasa Dios ang awa、nasa tao ang gawa」(慈悲は神にあり、行動は人にある)は、人間が神から慈悲を得る前には、まず働かなければならないことを意味します。

申し訳ありませんが、聖書の御言葉ではないので、その諺には完全には従いません。その代わりに、働くのは神であり、慈悲を与えるのも神であると私たちは信じるべきです。

まず第一に、あなたが働いているとき、あなたは慈悲に値しません。あなたは報酬または補償に値します。慈悲というのは、そのためにあなたが働かずとも得るものです。

神の慈悲を得るには、まず悔い改める必要があります。その後、神はその人の内で働かれるでしょう。働くのは神です。

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コリント 一 12:6
働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

私たち人間はすべての善行を実行不可能ですが、私たち全員の中で働いているのは神です。

神は人の中で様々な働きをされます。人が心の中で善行をしたいという願望を感じ始めたら、それは神がその人の中で働いておられていることの証明、または現われです。

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フィリピ 2:13
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

神は、人々が善行をしたいという願望を与えます。今日、多くの人がやりたいことは、自分のためになることだけです。他人のために善行をすることは、常に自然的に、または自然に人の心から湧き出る訳ではないので、他人のために善行をしたいという願望で心を神が満たして下さいます。

繰り返しますが、慈悲といのは私たちが働いたからではなく、悔い改めた時に神が私たちを赦し、受け入れてくださったからです。神は私たちの内で働いておられるので、私たちは心に善行をしたいという願いを感じます。そして、神は私たちに善行をするように勧めるだけではありません—私たちがやりたいと願っている善行を成し遂げるのを助けるでしょう。神無しでは何もできないからです。

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フィリピ 2:13
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

ですから、働くのは人間だと言うのは聖書的ではありません。働くのは神であり、慈悲を与えるのも神です。人間は自分で何もできない。人間は神の御助けを必要としています。生命、力、資源、善を行う意志でさえ人間を支えているのは神です。実際、人間は一般的に、神の摂理に依存しています。

神は慈悲深い方です。実際には、仕える子にも慈悲深い普通の人間の父親よりも神は更にに慈悲深い方です。

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マラキ書 3:17
「彼らは、わたしのものとなる。・・万軍の主は仰せられる。・・わたしが事を行なう日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。

神が人間から求めておられている唯一のことは、人間が神の元へ戻り、神の条例を守ることです。

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マラキ書 3:7
あなたがたの先祖の時代から、あなたがたは、わたしのおきてを離れ、それを守らなかった。わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。・・万軍の主は仰せられる。・・しかし、あなたがたは、『どのようにして、私たちは帰ろうか。』と言う。

私たちは悔い改め、神の元に戻り、神の御言葉を受け入れる必要があります。私たちが神の御言葉を受け入れたとき、それから初めて、私たちが利益を得るためにすべきこと-(神様の慈悲の方ではなく)-神からの報酬のために取り組むことが出来るようになります。神の慈悲に値するように努力するのではなく、神の報いに値するように努力すべきであることを忘れないでください。

神が人間の中で働いておられてることのもう一つの現われは、人間が過去に犯した罪を悔やみ、悔い改めた時です。

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ローマ 2:4
それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

人間を悔い改めに導くのは神の良さと優雅さです。

また、あなたが犯した罪を悔い改めたと感じる時、それはまた、あなたが神無しでは無力であると知り、あなたが服従するために自分を差し出す宛てとなる「強力な存在」を認めていることを意味します。

私たちの誠実な悔い改めは、神の慈悲に値します。それは、私たちにとって非常に重要です。覚えておいてください、ニネベの人々は彼らの違反を心から悔い改めたので、神の慈悲に値しました。神は、ご自身が持って来るつもりだった災いからニネベの人々を救いました。

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ヨナ書 3:10
神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。

あの時までに、ニネベの人々は誤りへ導かれていました。彼らは、ソドムとゴモラの人々のように暴力と性犯罪に従事していました。

彼らに降りそうな差し迫った破滅について警告するために、彼らの元へ神が預言者ヨナを遣わされたのはそのためです。預言者の言葉を聞くと、ニネベの人々はすぐに悔い改めました。彼らは悪事から離れ、断食し、熱心に祈りました。

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ヨナ書 3:5
そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。

ソドムとゴモラの人々は非常に罪深い生活を続けました。それ故、彼らには硫黄と火が降り注いだのです。

しかし、彼らとは異なり、ニネベの人々は神を認め、悔い改め、邪悪から背を向けたので、神の罰から免れました。

私たちも神の慈悲に値するように、この世代の人々がニネベの人々がしたことをするように願っています。今日の世界を悩ます汎流行からも免れるためです。

働くのは神です。慈悲を与えるのも神です。そして、神の慈悲によって私たちは救われることが出来ます。

キリストの来臨と裁きの日についての誤解に光を当てること


現在のほとんどすべての宗教に共通していることが1つあるとすれば、「主イエスキリストが戻られた時、それは主のsecond coming(二度目の来臨)であり、その日は既に裁きの日になる。」と彼らは信じています。申し訳ありませんが、そうは思いません。

まず第一に、聖書には「second coming(二度目の来臨)」という言葉はありません。 「second coming(二度目の来臨)」への信念は、ラムサ氏の無謀で誤った聖書の翻訳の結果でした。実際、現在に利用可能な聖書の多数の翻訳のうち、ラムサ翻訳版だけが「second coming(二度目の来臨)」という用語を使用しました。他のすべての翻訳は使用しませんでした。残念なことに、ラムサ氏は多くの宗教に影響を与え、誤解を与えました。そのため、現在多くの人々が、キリストの地上への来臨が主のsecond coming(二度目の来臨)であると考えています。

主イエス・キリストが再び来ることは確かですが、それは主のsecond coming(二度目の来臨)でも、すぐに裁きの日になることでもありません。キリストは再び来られます。主が戻られた時、主は死者全員ではなく、主のうちにいた人たち、つまり主の教えを成就して死んだ人たちだけを蘇らされます。これは、第一の復活と呼ばれています。しかし、地上でのキリストの千年間の支配がまだ残っているため、それはまだ最後の裁きの日にはなりません。

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黙示録 20:6
この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

第一の死者の復活は、キリストが戻られた時に実現されます。第一の復活の一部となる人々は、神とキリストにあっての祭司になり、彼らは地上で主と共に千年の間支配します。

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コリント 一 15:24
それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。

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コリント 一 15:25
キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。

千年の間、キリストはすべての支配、すべての権威、すべての力を従わさせなければなりません。。主はすべての悪を打ち負かします。

千年の間の後に最後の裁きの日が来ます。キリストが裁きをなされます。

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コリント 二 5:10
なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。

私たちは主の来臨に備えなければなりません。祝福されたと見なされる人々の中にいるためには、主が来られたとき、私たちが御心を行なっていることを主に見られることが非常に重要です。

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マタイ 24:46
主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。

主イエス・キリストが天国に昇られる前に、主は使徒たちに、すべての国々に主の戒めを教えるという特定な指示を残しました。

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マタイ 28:20
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

キリストは、私たちに主のすべての戒めを守ってほしいと望んでおられます。イエスが戻られた時に私たちが主の教えと戒めを満たしていることを見られたら、私たちは祝福された者と見なされます。

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黙示録 22:12
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。

そうです。キリストは再び来られます。しかし、繰り返しになりますが、主は既に2回以上も地球に来られていましたので、主のsecond coming(二度目の来臨)にはなりません。例えば、イスラエル人たちが荒野にいた間、主は彼らを追っていて、岩の形で主はご自身を彼らに示しました。

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コリント 一 10:3
みな同じ御霊の食べ物を食べ、

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コリント 一 10:4
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

主イエス・キリストは、イスラエル人たちに続く岩であり、荒野にいる間に彼らに水を飲ませる岩でした。つまり、主が肉体で現れる前に、主は既に(岩の形で)地上に来ていました。

主が地上に来られたもう一つの例は、私たちを罪から贖うために人間の形を取っておられ、マリアが主を産んだ時でした。

なので、主が再び次に来られる時、それは主のsecond coming(二度目の来臨)ではありません。

実際、私が引用した例に加えて、キリストは既に何度も地球に降りては、天国に昇っていたのです。

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箴言 30:4
だれが天に上り、また降りて来ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。

私たち全員が知っているように、すべてのものは神と神の御子によって創造されました。そして、創造の間、キリストは地上に降りたり、天に昇られたりしました。ですから、キリストが次に再臨された時、それはキリストのsecond coming(二度目の来臨)ではないという意味です。

主イエス・キリストは再び来られます。それは間違いありません。しかし、それが主の3度目、4度目、または5度目の「来臨」かどうかについては、正確には分かりません。しかし、一つ確かなことは、それが主のsecond coming(二度目の来臨)でも、最後の裁きの日にもならないということです。

免責事項

この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

愛することは、他人を安全に生きるようにさせること


新型コロナウィルスの汎流行が人類に脅威を与え続けている今、全世界は全く無力です。専門家はこの疾患に適切な薬とワクチンを見つけることを目的とした臨床試験と研究の実施を決して止めませんが、世界の健康危機は少なくとも近い将来までにはまだに終わらないようです。

人間ができることには限界があるので、私たちが今必要としているのは神の介入であることは間違いありません。人間の制御に及ばないものがありますが、それらは神によって制御可能です。そして、人間の能力を超えているものがありますが、それらは全能の神によって簡単に処理できます。

数え切れないほどの機会に、神は信者と非信者の両方にご自身の全能さと御力を証明しました。例えば、モーセの時代には、多くの驚くべき神の行ないがエジプト人によって目撃されました。パロがイスラエル人を解放することを拒否したとき、神はパロの家臣を含むすべてのエジプト人の家庭を満たしたエジプトの国にアブの群れを送りました。パロはモーセに呼びかけ、アブたちを追い払うよう神に懇願するようにモーセに要求しました。モーセはパロがイスラエル人をすぐに解放するという条件に同意しました。

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出エジプト記 8:31
主はモーセの願ったとおりにされたので、あぶはパロとその家臣およびその民から離れた。一匹も残らなかった。

当時のエジプトの国がどれほど強力だったかを考えると、それでもアブの群れを追い払うことはできませんでした。しかし、モーセが神に祈ったとき、すべてのアブたちは追い払われ、アブは一匹も残されませんでした。

アブは神の創造物です。すべての生き物の創造者として、神はそれらのすべてを完全操作する御力を持っておられます。このように、アブたちだけではなく、パロがイスラエル人を解放するという自分の約束を破り続けたことでエジプトのすべての土地の上に上がったイナゴたちさえ追い払った。

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出エジプト記 10:19
すると、主はきわめて強い西の風に変えられた。風はいなごを吹き上げ、葦の海に追いやった。エジプト全域に、一匹のいなごも残らなかった。

神からの単純な命令で、強力な西風が吹き、イナゴを追い払い、葦の海に追いやりました。

間違いなく、神の無限の御力によって、神は今の世界に蔓延するこの新型コロナウイルスに対しても同じことをすることができます。神はウィルスを追い払い、おそらく別の惑星に投げ込むこともできます。どうでしょう?すべてのウイルスは、神の御力に抵抗するには小さすぎます。

但し、私たちが最初に、私たちの違反に対する真の悔い改めと、神の教えを受け入れ、守る意欲を神に示しましょう。そして、神は私たちの誠実さを見て、確実に私たちに憐れみをお与え、私たちをこの疫病から救って下さいます。。

悪病と疫病は人間の罪深さの結果として起こります。だからこそ、私たちの誠実な悔い改めは、この疫病を終わらせる上で神が考慮すべき要因となり得るのです。ニネベの人々がしたことだけを倣えば、疑いもなく、彼らがしたように私たちも神の憐れみに値するでしょう。

彼らが預言者ヨナから神が彼らを滅ぼすことを知ったとき、ニネベの人々は時間を無駄にしませんでした—彼らは彼らの不正を悔い改め、断食し、彼らの邪悪な道を背き、熱心に神に祈りました。神がニネベの人々がしたことを王から市民の最も低い人までを見たとき、神は彼らに降りかかるはずの破壊を差し控えたのです。それで、ニネベ全体が救われました。

これが、私が絶え間なく祈るように皆に常に訴えかけている理由です。神が最強であるため、神の憐れみを呼び起こしてみましょう。神だけがこの汎流行から私たちを救うことができます。神だけが、致命的なコロナウイルスを追い払い、根絶する御力さえ持っています。

現在、死者の数は依然として数千人にのぼり、新型コロナウィルスで亡くなった人々が適切な埋葬を受けられなくなった場所もあります。

実際、そのようなことが起こったのはこれが初めてではありません。聖書でさえ、死亡後にもはや埋葬されなくなった人々がいて、彼らの愛する人は彼らの死を嘆き悲しむ機会が与えられなかったと述べています。

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エレミヤ書 25:32
万軍の主はこう仰せられる。見よ。わざわいが国から国へと移り行き、大暴風が地の果てから起こる。

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エレミヤ書 25:33
その日、主に殺される者が地の果てから地の果てまでに及び、彼らはいたみ悲しまれることなく、集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。』」

人類は、以前の疫病の間、具体的にはスペインのインフルエンザと腺ペストの襲撃中に、伝統的な葬儀や埋葬式を行わずに死者全員を集団墓地に葬ったときに、これらを既に経験していました。同様に、家族は亡くなった愛する人たちを嘆き悲しむ機会を与えられませんでした。そして、私たちの世代にも同じことが起こる可能性が非常に高いのです。

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コヘレトの言葉 3:15
今あることは、すでにあったこと。これからあることも、すでにあったこと。神は、すでに追い求められたことをこれからも捜し求められる。

過去に起こったことは再び起こります—過去に起こった善悪が人々に再び起こる可能性があります。それはすべて、私たちの創造主に対する態度と私たちが神をどのように考えているかにかかっています。私たちが熱心で神に反抗していると、悪いことが繰り返されます。しかし、私たちが神の元に戻って、私たちの真の悔い改めと神に従いたいという願いを神に示したなら、良いことが繰り返されます。

今の世界は、新型コロナウィルスと戦うことができるワクチンを見つけることに絶望的であることがわかります。しかし、まだ何も見つからない間に私たちにできる最善のことは、宗教を除けば、政府によって課された健康手順を遵守し、祈ることです。つまり、私たちのこの存在物語の非常に困難な章を克服できるよう、神の御心でこの汎流行を生き抜くことができるように祈りましょう。しかし、神の御心がそうでなければ、私たちの人生は神の御手にかかっているので、私たちは心からそれを受け入れるべきです。その上、全能の神はご自身のしもべたちのために何が良いかを知っておられますから。。

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ローマ 8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

神は、神を愛する人のためにすべてのものを変えることができます。神を愛することは神の戒めに従うことであり、その一つは同胞を愛することです。

多くの国では、新型コロナウィルスで亡くなったすべての人を火葬することを義務付けています。おそらく、亡くなった愛する人を火葬することを誰もが望んでいるわけではありませんが、それでも伝染を止めるのを助かるための一つの方法であるので、人々は健康専門家の指示に屈する必要があります。人々が「それぞれの伝統的な埋葬の儀式を遵守せよ」主張するならば、死者を弔う人々とそれぞれの家族であろうすべての人々が感染するという大きな可能性があるからです。

実際、火葬や死体の焼却は、旧約聖書の時代に遡ります。しかし、それは別の状況の下で行なわれました。今日、新型コロナウィルスの犠牲者は、イスラエル人の時代にウイルスがより多くの人々に感染するのを防ぐために火葬されました。生きたまま火で焼かれる者たちは、卑劣な行為または邪悪な行為を犯した人々に対する神の罰でした。

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レビ記 20:14
人がもし、女をその母といっしょにめとるなら、それは破廉恥なことである。彼も彼女らも共に火で焼かれなければならない。あなたがたの間で破廉恥な行為があってはならないためである。

配偶者とその子の両方を娶る人は、神にとっては忌まわしいです。したがって、その三人は火で焼かれる死刑で処されます。

この種の罰を与えることは、神がイスラエルの人々に忌まわしい行動を取ることを抑止し、彼らが神を恐れるようにするための方法でした。

しかし、すべての死者が火で焼かれて死んだ訳ではありません。アサ王にしたように死者の遺体が埋葬された事例もあった。

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歴代誌下 16:12
それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。

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歴代誌下 16:14
そこで、人々は、彼が自分のためにダビデの町に掘っておいた墓に彼を葬り、香料の混合法にしたがって作ったかおりの高い香油や香料に満ちたふしどに彼を横たえた。そして、彼のために非常にたくさんの香をたいた。

主イエス・キリストが復活させたラザロも墓に葬られました。

現在の状況では、新型コロナウィルスが原因で亡くなった人々の火葬は、論理的で高貴なことのようです。あなたが他の人の福祉を気にかけ、本当に彼らを愛しているなら、あなたは多くの人の安全のために個人的な感情を犠牲にするでしょう。

それには聖書の根拠があります。

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コリント 一 13:3
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

同胞への愛情により、他人に感染させたくないために死体を火葬にさせる場合、あなたは非常に英雄的なことをしています。それは実際、愛情の仕草です。

自分たちの信仰と原論に堪えたことで生きたまま火に焼かれる死刑で死亡した人々もいました。彼らがカトリック信仰を受け入れることを拒否したために火に焼かれる死刑30万人、主にクリスチャンたちに起こったことのように。

実際、教える皇ヨハネ・パウロ2世が死ぬ前に、彼は、カトリック教会がそれらの人々に対して犯した残酷さについての赦しを懇願しました。 Foreign Post, March 16-20, 2000; Volume 8, No. 370. (2000年3月16日〜20日、外国郵便。第8巻、370号)に掲載されました。


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:画像の英文の日本語訳:
私たちをお赦してください。バチカン市—ローマ教皇教会の歴史において前例の無かった公の告白の中で、聖ピーター大聖堂の十字架像の前で悔い改めて抱擁した教皇ヨハネ・パウロ2世は、過去2000年間にわたる教会の罪に対すの赦しを日曜日に求めました。教皇は、特に十字軍と異端審問で火に焼かれる死刑にされた30万人に言及しました。

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カトリック教会に反対した人々、偽りの神々や偶像を崇拝したくない人々は異端者と見なされました。したがって、彼らは「聖なる異端審問」と呼ばれるものによって危機に瀕して焼かれました。

ですが、「死体」の火葬自体には特に問題はありません。特に、生きてる他人への愛情のために死体を火葬している場合はそうです。死の際になってもなお、愛情故に同胞のために何かをすることができました。そして、あなたは彼らを愛しているから、彼らに感染してほしくない。

他人への愛の重要性をさらに強調するために、コリント一13:3 もう一度引用させてください

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コリント 一 13:3
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

あなたが愛情を持っていれば、他人が安全に生きるようにさせます。

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汎流行によって打ち明けられた偽宗教の指導者の偽善


確かに、自宅待機は新型コロナウィルスの拡散に対する一つの効果的な対策です。しかし、多くの市民は、それぞれの家族の生活必要品、特に日常生活の食糧を心配しているため、危険度にも拘わらずに外出を余儀なくされています。

真実、恵まれない同胞たちを助けるために私たちはみんな手を組むのなら、誰も飢えないでしょう。空腹で死ぬ人はいません。

Members Church of God International(国際的・神の教会の会員たち)では、封鎖中と公共検疫が引き起こされている中で多くの人々が経験している厳しい試練に気づいています。ですから、謙虚ながらも私たちの方法で、兄弟姉妹だけでなく、同胞にも食糧や医薬品などの本質的な生活用品を提供するために最善を尽くしています。また、健康に関する問題に対応する24時間年中無休のデジタル・クリニックも設置しています。

この世界的な健康危機では、政府の負担を軽減し、同胞の苦難を軽減するために、あるいは少なくとも、様々な宗教団体のそれぞれの会員や信者たちだけのことなら、様々な宗教団体によって多くのことはできます。これは、様々な宗教団体の指導者らは、自分らの会員や信者たちの福祉を本当に気に掛け、彼らが自分らの会員や信者たちから金銭的寄付を集めるだけではないこと自分らの会員や信者たちに示すことができる時期です。様々な宗教団体の指導者らはいつでも自分らの会員や信者たちの日々の生活に必要なものを提供することができるはずです。

しかし、物質的なものを与えることは別として、これはまた、使徒やキリスト自身であると自己主張する宗教指導者らは、彼ら自身の要塞から出て、宗教指導者らが主張している「自分が持っている超能力」を使い、この疫病を止めて、病院やその他の医療施設で生きるために必死で闘っている人々を癒すのに最適な時期でもありますし、彼らが「本物(の聴力者)であって単に悪用者(利益だけ欲しい)のではないことを人々に証明する機会です。

彼らが本当の使徒・本当のキリストであるならば、病気を治してウイルスを根絶することは、彼らにとってとても簡単なはずです。しかし、なぜ彼らは何もしていないのでしょう?彼らは、苦しんで死ぬ人々を気にしないのでしょうか?なぜ彼らは、聴覚障害者や新型コロナウィルス感染症の患者の悩みを知らないフリをするのでしょうか?彼らの沈黙と不作為は、彼らが本当のキリストと本当の使徒ではなく、偽のキリストと偽の使徒であることを意味するだけです。それは、彼らが本当に力を全く持っていないことを意味するだけなのです—彼らは普通の人々のように無力であり、彼ら自身がこの致命的なウイルスを恐れています。そして、感染するのを恐れて、彼らは、もはや自分たちの避難所から出ることはありません。

これらの高慢な説教者や宗教指導者が嘘つきの集まりであることが明確に分かります。彼らは、自分らが不思議な行為を実行する能力があることや、彼らが天使に命令を与えることができること等を行うことができることを自慢しています。そこでは、彼らの大邸宅と宮殿で!彼らは何をしてくれましたか?......!何もない!

例えば、「任命された!」と主張する一人の宗教指導者さん、つまり自己任命と言いますが、「地震を止める!」など、非常に多くのことを誇ったとある宗教指導者さんがいました。しかし、彼は今どこにいて、彼は何をしてくれましたか?彼が本当に地震を止めることができれば、このウイルスが更に広がるのを簡単に止めることができます。しかし、なぜ彼には出来ないのですか?それは、彼が偽りのキリストだからです!そして、彼が自慢するのは妄想・妄言の他でない。

病人に手をかざすだけで終末期の治癒もできると主張する牧師や司祭はどうでしょうか。彼らもどこですか?廊下や回廊にも新型コロナウィルス感染症の患者がいる病院に行かないのですか?この健康危機が始まってから半年以上が経過し、多くの命が失われましたが、そのうちの治癒力を持っていると主張していた牧師や司祭も出てきて、人々に手を貸すボランティアを一人も誰もしていません。どうして?.....彼らは全員、偽の治癒者であり、信仰の治癒者では無いからです!

明らかに、現代の宗教指導者らでさえ、この汎流行に動揺し、恐怖に陥っています。したがって、彼らは彼らの本拠地で恐怖で畏縮しているでしょう。

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エレミヤ書 51:30
バビロンの勇士たちは戦いをやめて、とりでの中にすわり込み、彼らの力も干からびて、女のようになる。その住まいは焼かれ、かんぬきは砕かれる。

この汎流行が主イエス・キリストと使徒たちの時代に起こったならば、彼らは本当に病気を癒す力を持っているので、感染した人たち全員に手を差し伸べ、人々を癒すために、人々の所へ間違いなく向かいます。

本当のキリストがまだ地上にいらっしゃった時代に、主はあらゆる種類の病気を癒してくださりました。主は、死者を復活させました。同じことが実際の使徒たちにも当てはまりました。

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マタイ 10:1
イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。

使徒たちは同様に、例外なく、すべての病気や疫病を癒す力を神から与えられました—これは人々を癒せる対象には新型コロナウィルスも含まれていたことを意味します。本当のキリストのように使徒たちもまた使者を復活させることが出来て、現代に増殖した偽のキリストや偽の使徒たちとは異なります。

しかし、Members Church of God International(国際的・神の教会の会員たち)の私たちの誰も、私たちが使徒である、または私たちがキリストであると主張していません。また、病気を癒す力があると主張したこともありません。私たちの一人が病気になった時は、私たちはいつでも神に祈ります。私たちは神の憐れみを懇願します。私たちの人生は神の御手にあると信じているので、私たちが元気になった時は私たちを癒して下さったのは神であったことを認めています。

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申命記 32:39
今、見よ。わたしこそ、それなのだ。わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出せる者はいない。

このような危険な時代において、私たちの唯一の希望は神の憐れみです。私たちが頼ることが出来る者は他に誰もいないので、神の憐れみをいつも祈りましょう。神の慈悲によって、そして、神の御心に反しないのならば、私たちはこの世界的な健康危機を乗り越えることができます。

今、神を信じない人でも、神の御力・強大な力を感じることができます。神が疫病を遣わした時、その衝撃は全世界が実感します。

今起こっていることで、私は本当にどうしても、ヨハネに与えられた啓示の一つを思い出すしかありませんでした。

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黙示録 6:8
私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、そのあとにはハデスがつき従った。彼らに地上の四分の一を剣とききんと死病と地上の獣によって殺す権威が与えられた。

青ざめた馬に乗った者には、剣または戦争で、飢饉、疫病や死病、地球の野獣などという様々手段で、地上の四分の一を殺す力が与えられました。

現在、人類を攻撃しているウイルスは、不潔で悪辣な野生動物ののコウモリ、ヘビ、センザンコウから来たと言われています。コウモリにあったウイルスがヘビにあったウイルスと合併し、ヘビに現在存在するこのハイブリッド・ウイルス(雑種)が更にセンザンコウのウイルスと合併した可能性があります。それらの動物はすべて、野生動物なのです。彼らは、家畜化されてはいけない。そして、それらは同じ場所に置かれるべきではありません。残念ながら、それらはすべて中国の武漢市の一つの市場で入手可能で、そこでは並外れた強さを持つ新しいコロナウイルス、新型コロナウィルスが開発されました。そして、この新型コロナウィルスは、突然変異が起こるまでに何年もかかる通常のウイルスとは異なり、非常に高速・突然変異します。

私は今の世の中で起こっていることを熱心に観察しています。その後、黙示録6:8で言及されている状況を参照します。この現在の疫病は別として、至る所で戦争と争いがあり、国家と国家の間及び、国家内で見られます。人々は飢えて、不安なのです。私たちが今経験しているのが、既に青ざめた馬に乗った者によって、もたらされた疫病であるならば、その者が地上の四分の一を殺す力を与えられたため、それは人命の面で大きな損失を意味します。つまり、今の世界人口が約80億人であれば、約20億人の死を意味します。

私たちは、これが青ざめた馬に乗った者がまだ行なっているのではないことを望み、祈ることしかできません。しかし、もちろんそれが神の御心であるならば、私たちはそれに反対しません。そもそも、私たち全員がいつか死ぬことを命じられていることを知っています。

私たちの唯一の望みは、神が私たちに機会を与えている間、福音を説教し続けることです—人々に神への信仰と恐れを発達させるように説得し、同胞を愛するように教え、神から与えられた人生を有意義に過ごすように人々を鼓舞し、そして、最終的に、人々が救済に相応になるために神に仕えるように導きます。

神が私たちを御助け、私たち全員を憐れんでくださいますように!神が病人を癒してくださいますように。神が私たちの土地を癒してくださいますように。


免責事項

この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

不確かな時代に、神の御名は私たちの避難所です


新型コロナウィルスの汎流行は全世界を驚かせました。それが訪れることを期待した国は無く、誰もそれに対する準備が出来ていませんでした。非常に多くの命が失われており、この病気が原因でどれだけ多くの人々が命を落とすことになるかは分かりません。

人々は、「何故、多くの人がこの新型コロナウィルスで死んだのか」と問いかけます。答えは簡単です。それは、聖書が「殺す時と死ぬ時」について話しているからです。

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コヘレトの言葉 3:1
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

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コヘレトの言葉 3:2
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

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コヘレトの言葉 3:3
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

言及されている「天の下の季節と時」は、地上の季節と時であり、神の国である天国のことではありません。そこには季節が一つしかないからです。

季節は自然の法則の一部であり、ここ地球上には、生まれる時、死ぬ時、殺す時など、すべてのものとすべての目的のための季節と時があります。

私たちに関する限り、私たちの生まれる時は来ましたが、死ぬ時はまだ来ていません。人々は死ぬが、人々は様々な方法で死にます。多くの人が自然で平和な方法で死ぬ一方で、並外れた方法で死ぬ人もいます。それは悲惨な死であるか、死ぬ前に多くの困難と不快感を経験し、長い間ベッドで苦しんでいなければならない等、新型コロナウィルスの犠牲者の一部に起こったように。

この世代では、多くの人がこの汎流行で死ぬ運命にあると思います。世界的な死者数は数十万人に達し、死者数は日を追うごとに増え続けています。これは聖書が言っていることの成就です:「死ぬのに時がある」「殺すのに時があり」

一般的に、すべての人は長生きしたいと考えています。寿命を定めたのは人間ではありませんが、主に恐れを抱けば長寿を望めます。

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箴言 10:27
主を恐れることは日をふやし、悪者の年は縮められる。

人々が死ぬための指定された時があるとしても、人々が死ぬために指定された時になる前に、人々が神への信仰と恐れを発達させることが出来たのなら、神が彼らの命を延ばす可能性はまだ100%の確率があります。言い換えれば、神は人々の死を遅らせたり延ばしたりするかもしれません。そして、それは時間と季節が主の管理下にあるため、非常に可能なことです。そして、神の憐れみによって、神はご自身を恐れる人々の日々を延ばして下さるかもしれません。

聖書には、子どもたちが長生きするための特別な注意書きもあります。

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エフェソ 6:1
子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
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エフェソ 6:2
「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、

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エフェソ 6:3
「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。

神の御言葉によれば、親に対して従順で敬意を表する 子どもたちは、長寿を約束されています。神の御言葉は決して偽りではないため、この約束が果たされることが期待できます。それらは常に真実なのです。

子どもたちには、長い人生を送るための鍵は、両親に対して敬意と従順であることであり、私たち罪人らにとって、それは私たちの罪に対する悔い改めと、神への恐れと従順となります。

ですから、私たちが今、直面しているこの汎流行から救われたいなら、もっと長く生きたいなら、そして、より良い未来を見たいのなら、あなたが犯した罪を悔い改め、神の御言葉を守り、あなたの邪悪な方法から離れ、正しい人生を歩み始めてください。

おそらく、今や多くの人々がもはや神を恐れなくなったため、この世界的な健康危機は本当に起こりそうです。おそらく、これは彼ら全員への目覚めの呼びかけです。

このような危機的な時期にあっても、同胞の窮状を利用する人々がまだいるのは非常に残念です。商品を買い占めて高値で売る人がいます。さらに悪いことに、貧困家庭への政府からの財政援助を削減したり、分配を得ようとする地方自治体の役人もいます。これらの役人の被害を受けているのは、貧しい家庭です。なんて酷い無情なんだ!

新型コロナウィルスの発生以来、半年以上が経過しています。この頃までに、ほとんどの人は公共検疫にウンザリして疲れていて、彼らは移動制限について不満を持っているようです。人々はこの健康危機の終焉を望み、通常の生活様式に戻りたいと思っています。ただし、ウイルスが封じ込められており、拡散が防止されている場合にのみ実現が出来ます。これを達成するためには、みんなの協力が必要です。しかし、一部の市民は、政府が採用した対策に正面から立ち向かったり、反抗的であり、協力的でない限り(フェイスマスクを着用し、遊行する代わりに家に待機するなど)、公共検疫が行われ続けられます。だから私たちはただ協力してみましょう。 新型コロナウィルスの治療法はまだありませんが、残りの人生を恐怖と悲惨さの中で過ごすよりも、今は少しの困難を犠牲にして耐えることの方が良いです。

私たちが今必要としているのは、共通の利益に向けた協調的な取り組みです。私たちは互いに助け合う必要があります。私たちは政府を助ける必要があります。また、現在の状況の難しさを緩和するために、どんなに小さくても、分担をしなければなりません。

最終的には、私たちの主な目的は、聖書に書かれた神と主イエス・キリストの教えを人々に共有することですが、私たちはすべての人に善を行う道徳的義務があることを知っています。それが、Members Church of God International(国際的・神の教会の会員たち)の助けを借りて、私たちは仲間の必要なことを継ぎ足すために最善を尽くしている理由です。

例えば、UNTV News and Rescue (情報と救助チーム)と協力して、健康に不安のある方に、無料でサービスが提供されている医師との24時間年中無休のオンライン相談を提供されています。

また、信仰のあるキョウダイたちだけでなく、宗教に関係なく他の人々にも、救援物資や必需品の袋を配布しています。そして、戸口から出してすぐに配達するので、住居から出かける必要がありません。結局の所ですが、外出中は常にウイルスに感染する危険性があります。

更に、私たちのキョウダイたちは、常に特別な注意を払い、健康に関するすべての手順を遵守し、政府の指示に耳を傾けるよう常に心がけています。何よりも、私たちは「常に神に祈り、神の介入を懇願するよう」とキョウダイたちに常に思い起こさせます。

新型コロナウィルスが人類に大混乱をもたらす時がいつなのかを誰も知りません。この不確実性が私たちの前にあるため、私たちの唯一の避難所は主の御名です。ですから、主の御名を呼び求めることを忘れずに、そして常に主の慈悲を求めましょう。 「死ぬ時」と「殺す時」がなるべく早く過ぎて、「癒す時」が近づくように祈りましょう。全世界は、神と主イエス・キリストだけが与えることができる「癒し」が必要としています。アーメン!

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神の憐みは尽きることはない


私たちの毎日の生活の中で怠るべきではないことが一つあるとすれば、それは常に祈り、神に感謝することです。

私たちが毎朝に目覚める度、私たちの最初の発話は神への感謝の表現であるべきです。毎朝、神が私たちに対する尽きることはない神の慈悲と思いやりを表して下さっているので、私たちは、神が私たちに与えた真新しい日に感謝するべきです。

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哀歌 3:22
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

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哀歌 3:23
それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。

このような悲惨な時代に、全世界が悪病に悩まされている現在、私たちは今まで以上に神の憐れみと思いやりを必要としています。多くの人が毎日亡くなっており、神が私たちをその一人にすることを許さなかったことに私たちは非常に感謝しなければなりません。神の尽きることのない慈悲と思いやりによって、私たちは生き続け、安全であり、それも私たちの愛する人の一緒に居られることを楽しめています。そして、私たちが日々に直面している課題、不確実性、問題等を克服できるのは、神の憐れみと御助けのおかげでもあります。

神の憐れみと思いやりは毎朝新しくなります。ですから、神が私たちにくださる毎朝、私たちは神の思いやりと憐れみも期待できます。私たちがこの疫病によって引き起こされた絶滅から免れているのは、神の憐れみのためです。

確かに、邪悪な者、つまり神に不従順で反抗的な人々に、全滅と破壊がもたらされます。

しかし、神を認識し、神を恐れる者は、神の憐れみと思いやりを期待することができます。それは毎朝、彼らに新たに与えられるからです。

神と主イエス・キリストの管理下にある人々は確実に保護されています。そして、この保証は主イエス・キリストご自身によって与えられています。

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ヨハネ 10:28
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

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ヨハネ 10:29
わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。

しかし、神を信じない人、無神論者のように聖書を嘲る人、そして神への信仰が口だけの奉仕にすぎず、決して行動に現われない人は、すべて滅びて滅ぼされる運命にあります。

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ペトロ 二 2:12
ところがこの者どもは、捕えられ殺されるために自然に生まれついた、理性のない動物と同じで、自分が知りもしないことをそしるのです。それで動物が滅ぼされるように、彼らも滅ぼされてしまうのです。

私たちは神に祈るだけです。手遅れになる前に-神を持たない人々が滅びる前に-神と主イエス・キリストへの信仰が、彼らが救われるようにできるだけ早く心に湧くようにと祈るのです。

この疫病が今日も世界に蔓延し続けているため、明日に、またはこれからの数日間、私たちがまだ生きているかどうかはわかりません。この病気で命を奪われた何十万人もの人々の中に含まれるかどうかはわかりません。私たちは一人一人が死ぬことはあるとされていることを知っています。それは、誰が最初に死ぬのかという問題にすぎません。

ダビデ王は、すべての人が死ぬに違いないこと、そして、私たちの生活が神の御手の中にあることを完全に知っていました。そのため、別の女性によって生まれたばかりの息子が死ぬことを知らされた時、ダビデ王は息子の命のために断食し、神に祈りました。

しかし、神の布告が可決され、幼児の死がついに来たとき、彼は断食を終えて主の家に入り、神を礼拝しました—神の御心へのダビデ王の服従の仕草なのです。ダビデ王は自分の子どもが再び生き返らせることがダビデ王にはできないことを知っていました。また、指定された時間になると、彼も自分は死ぬことを知っていました。

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サムエル記下 12:23
しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」

神の民はいつの日か死ぬことを知っています。それはすべての人に対する定めです。
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ヘブライ 9:27
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

すべての人間は死ぬよう定められています。しかし、例え彼らが、たまたま私たちの敵の中で最も厄介な者であっても、私たちは彼らの死を祈ったり、願うべきではありません。私たちは、敵の死や不幸のためではなく、敵の改善のために祈ることをお勧めします。しかし、本当に他の人の評判を破壊し、SNSで偽情報を広めることに喜びを感じる人がいることは仕方がありません。私自身もそういう人たちの被害者です。彼らは、私の風格を不快にさせています—彼らは、SNSにて私が深刻な病気で死にかけていると投稿しました。

これらの人々にもっと良いことはないのだろうかと思います。偽情報を作り上げたり、広めたりするような無意味なことに夢中になる代わりに、特に何百万人もの人々が苦しんでいて助けを必要としている今、同胞に利益をもたらすようなことをしてみませんか?

私はまた、いくつかのメディアの人物、政治家、および政府の指導者に呼び掛けをしています。人の失敗探しに泥酔したりする代わりに、手を取り合って共同で利益を上げてみませんか?これは、互いに批判的で敵対的であるべき時ではありません。これはまた、政治的野心やその他の個人的な議題について考える時ではありません。これは、この汎流行と戦うだけでなく、政府によって課された封鎖令と公共検疫令によって悪影響を受けた人々に救いの手を差し伸べる際にも一致する時です。

封鎖中のため、今日も多くの人々が飢えに耐えています。多くの人々は、毎日の生活のために彼らに与えられている救援物資にのみ頼っています。維持薬が必要だが購入できない高齢者がいます。粉ミルクとオムツを必要とするが、両親のお金が足りないために手に入れることができない赤ちゃんや幼児がいます。そして、彼らが経験している問題や困難に対処することができないためにうつ病で既に苦しんでいる人もいます。

これが、政治的宣伝、政治的敵を批判したり、SNSで偽情報を広めたりするのに時間、労力、財源を浪費する代わりに、これらの苦しみと貧困の辛さを和らげるために時間を使う方がためになります。被災した市民たちに、少しの助けでも彼らにとって助かることをもたらすことができます。

政府は、この伝染に対処し、国民の福祉の管理をする上で、皆の助けと協力を必要としています。政府は市民に基本的な必要性を提供するためのあらゆる可能な手段を使い果たしていますが、政府ができることはそれだけです。政府の資源は限られています。実際、それはすでに枯渇しています。したがって、政府は民間部門の支援、特に宗教部門の支援を必要としています。

さまざまな宗教団体の指導者、つまりクリスチャンであると主張するこれらの個人は、彼らが真に人々のことを気にかけていること、そして彼らが人々の金銭的寄付の後だけが目的ではないことを会員たちに証明する時がきました。指導者や仕える者が華やかで豊かな生活を送る宗教団体は、少なくとも、それぞれの会員の基本的な必要生活用品を提供する必要があります。そして、彼らは政府に税金を払っていないので、彼らができることの少なくとも一つは、これらの必要生活用品が本質的に物質的であろうと財政的であろうと、貧しい会員たちの必要生活用品不足に対処することです。

私たちの宗教団体、Church of God International について私が本当に誇りに思っていることの一つは、私たちは貧しく、他人の目には低く見えるかもしれませんが、信仰を持つキョウダイたちが食べ物が無くて乞うや飢死することありません。私たちの同胞の教会のワーカーたちは、それぞれの割り当ての場所で貧しいキョウダイたちの福祉状態をチェックし、彼らに食糧や薬のような本質的な必要生活用品を提供するようにワーカーたちに指示されています。

私の要点は、私たち自身の小さな方法で、恵まれない同胞の負担を軽減することができ、救援活動において政府の協力者になることができるということです。

一般市民としても、政府当局者や医療専門家の指示に対応し、遵守することで、この新型コロナウイルスの蔓延防止に貢献できます。政府当局者や医療専門家が私たちに家にいるようにと言い寄るのならば、私たちは自宅待機をしましょう。検疫期間をさらに延長する場合は、反対しないでください。それは私たち自身のためです。

実際、検疫や自己分離の考え方には聖書的な根拠があります。

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レビ記 13:46
その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。

悪病の蔓延を防ぐために、イスラエル人は「ひとりで住む」ように命じられました

別の書では、イスラエル人たちは彼らの部屋の中に行き、疫病が通過するまで隔離されるように指示されました。

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イザヤ書 26:20
さあ、わが民よ。あなたの部屋にはいり、うしろの戸を閉じよ。憤りの過ぎるまで、ほんのしばらく、身を隠せ。

現在、政府と保健当局によって課されている措置は、実際には新しいものではないと言えます。それらは旧約聖書と同じくらい古いです。

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歴代誌下 26:21
ウジヤ王は死ぬ日までらい病に冒されていたので、らいを病む者として隔離された家に住んだ。彼は主の宮から絶たれたからである。その子ヨタムが王宮を管理し、この国の人々をさばいていた。

ウジヤ王の死の日まで、ウジヤ王はハンセン病にかかっていたので孤立して住んでいました。ウジヤ王は人々に感染しないように他の人々から距離を置いた。

新型コロナウィルスはハンセン病よりも致命的で感染しやすいことを考えると、私たちの時代では、自己検疫または自己隔離を実践する必要があります。権威のある人々が推奨している健康手順を厳守しましょう。家にいることが感染しないための最良の方法です。ただし、特定の症状が現れた場合は、現在すでに利用されている様々な通信台を介し、すぐに医療専門家に相談してください。例えば、フィリピンでならUNTV放送局には24時間年中無休の通信クリニックがあり、自宅から出かけることなく、健康上の懸念について医師に相談できます。日本でならば、厚生労働省が設けた「帰国者・接触者相談センター」に相談できます。

特に一般の従業員と毎日の賃金労働者にとって、確かに封鎖令と検疫期間を課されるは貧しさを招きます。しかし、それは正しい選択をするだけの問題です。家にいて空腹感をたまに体験するのが遥かにマシなことです。少なくとも、あなたは安全で、まだ生きています。家で退屈することについて文句を言わないでください。愛する人と一緒にいると、何故に退屈するのですか?家族と絆を深め、公共検疫期間を最大限に活用してください。財布が空になっても問題ありません。あなたの人生はお金のいっぱい財布よりも価値があります。あなたが外出して生計を立てよると主張するなら、あなたは、あなたの安全とあなたの家族の一員の安全を危険に晒すことになります。あなたの知っている全ての為に稼ぐであろうお金で、この致命的なウイルスに感染したまったら、稼いだお金はあなたの入院のために費やされるだけです。そして、感染した場合に回復できるという保証はありません。家にいることで安全を確保できる可能性があります。

しかし、必要なすべての予防策を講じることは別として、私たちの最も強力な武器となるのは、全能の神への祈りです。私たちに与えられるすべての機会-朝、正午、午後、夕方-で私たちは神の慈悲のために祈りましょう。神の慈悲と思いやりは、神を恐れ、神を信じる人々にとって確実なことです。それらの慈悲は毎朝、新しいです。

ですから、目覚める毎朝、神の憐れみを受け入れる機会を与えてくださった神に感謝することを忘れないでください。私たちが今まで生きているのは、神の憐れみのためです。

神に感謝します!


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