神の憐みは尽きることはない

6月 14, 2020 , 0 Comments


私たちの毎日の生活の中で怠るべきではないことが一つあるとすれば、それは常に祈り、神に感謝することです。

私たちが毎朝に目覚める度、私たちの最初の発話は神への感謝の表現であるべきです。毎朝、神が私たちに対する尽きることはない神の慈悲と思いやりを表して下さっているので、私たちは、神が私たちに与えた真新しい日に感謝するべきです。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
哀歌 3:22
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
哀歌 3:23
それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。

このような悲惨な時代に、全世界が悪病に悩まされている現在、私たちは今まで以上に神の憐れみと思いやりを必要としています。多くの人が毎日亡くなっており、神が私たちをその一人にすることを許さなかったことに私たちは非常に感謝しなければなりません。神の尽きることのない慈悲と思いやりによって、私たちは生き続け、安全であり、それも私たちの愛する人の一緒に居られることを楽しめています。そして、私たちが日々に直面している課題、不確実性、問題等を克服できるのは、神の憐れみと御助けのおかげでもあります。

神の憐れみと思いやりは毎朝新しくなります。ですから、神が私たちにくださる毎朝、私たちは神の思いやりと憐れみも期待できます。私たちがこの疫病によって引き起こされた絶滅から免れているのは、神の憐れみのためです。

確かに、邪悪な者、つまり神に不従順で反抗的な人々に、全滅と破壊がもたらされます。

しかし、神を認識し、神を恐れる者は、神の憐れみと思いやりを期待することができます。それは毎朝、彼らに新たに与えられるからです。

神と主イエス・キリストの管理下にある人々は確実に保護されています。そして、この保証は主イエス・キリストご自身によって与えられています。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヨハネ 10:28
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヨハネ 10:29
わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。

しかし、神を信じない人、無神論者のように聖書を嘲る人、そして神への信仰が口だけの奉仕にすぎず、決して行動に現われない人は、すべて滅びて滅ぼされる運命にあります。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ペトロ 二 2:12
ところがこの者どもは、捕えられ殺されるために自然に生まれついた、理性のない動物と同じで、自分が知りもしないことをそしるのです。それで動物が滅ぼされるように、彼らも滅ぼされてしまうのです。

私たちは神に祈るだけです。手遅れになる前に-神を持たない人々が滅びる前に-神と主イエス・キリストへの信仰が、彼らが救われるようにできるだけ早く心に湧くようにと祈るのです。

この疫病が今日も世界に蔓延し続けているため、明日に、またはこれからの数日間、私たちがまだ生きているかどうかはわかりません。この病気で命を奪われた何十万人もの人々の中に含まれるかどうかはわかりません。私たちは一人一人が死ぬことはあるとされていることを知っています。それは、誰が最初に死ぬのかという問題にすぎません。

ダビデ王は、すべての人が死ぬに違いないこと、そして、私たちの生活が神の御手の中にあることを完全に知っていました。そのため、別の女性によって生まれたばかりの息子が死ぬことを知らされた時、ダビデ王は息子の命のために断食し、神に祈りました。

しかし、神の布告が可決され、幼児の死がついに来たとき、彼は断食を終えて主の家に入り、神を礼拝しました—神の御心へのダビデ王の服従の仕草なのです。ダビデ王は自分の子どもが再び生き返らせることがダビデ王にはできないことを知っていました。また、指定された時間になると、彼も自分は死ぬことを知っていました。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
サムエル記下 12:23
しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるであろうか。私はあの子のところに行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない。」

神の民はいつの日か死ぬことを知っています。それはすべての人に対する定めです。
JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヘブライ 9:27
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

すべての人間は死ぬよう定められています。しかし、例え彼らが、たまたま私たちの敵の中で最も厄介な者であっても、私たちは彼らの死を祈ったり、願うべきではありません。私たちは、敵の死や不幸のためではなく、敵の改善のために祈ることをお勧めします。しかし、本当に他の人の評判を破壊し、SNSで偽情報を広めることに喜びを感じる人がいることは仕方がありません。私自身もそういう人たちの被害者です。彼らは、私の風格を不快にさせています—彼らは、SNSにて私が深刻な病気で死にかけていると投稿しました。

これらの人々にもっと良いことはないのだろうかと思います。偽情報を作り上げたり、広めたりするような無意味なことに夢中になる代わりに、特に何百万人もの人々が苦しんでいて助けを必要としている今、同胞に利益をもたらすようなことをしてみませんか?

私はまた、いくつかのメディアの人物、政治家、および政府の指導者に呼び掛けをしています。人の失敗探しに泥酔したりする代わりに、手を取り合って共同で利益を上げてみませんか?これは、互いに批判的で敵対的であるべき時ではありません。これはまた、政治的野心やその他の個人的な議題について考える時ではありません。これは、この汎流行と戦うだけでなく、政府によって課された封鎖令と公共検疫令によって悪影響を受けた人々に救いの手を差し伸べる際にも一致する時です。

封鎖中のため、今日も多くの人々が飢えに耐えています。多くの人々は、毎日の生活のために彼らに与えられている救援物資にのみ頼っています。維持薬が必要だが購入できない高齢者がいます。粉ミルクとオムツを必要とするが、両親のお金が足りないために手に入れることができない赤ちゃんや幼児がいます。そして、彼らが経験している問題や困難に対処することができないためにうつ病で既に苦しんでいる人もいます。

これが、政治的宣伝、政治的敵を批判したり、SNSで偽情報を広めたりするのに時間、労力、財源を浪費する代わりに、これらの苦しみと貧困の辛さを和らげるために時間を使う方がためになります。被災した市民たちに、少しの助けでも彼らにとって助かることをもたらすことができます。

政府は、この伝染に対処し、国民の福祉の管理をする上で、皆の助けと協力を必要としています。政府は市民に基本的な必要性を提供するためのあらゆる可能な手段を使い果たしていますが、政府ができることはそれだけです。政府の資源は限られています。実際、それはすでに枯渇しています。したがって、政府は民間部門の支援、特に宗教部門の支援を必要としています。

さまざまな宗教団体の指導者、つまりクリスチャンであると主張するこれらの個人は、彼らが真に人々のことを気にかけていること、そして彼らが人々の金銭的寄付の後だけが目的ではないことを会員たちに証明する時がきました。指導者や仕える者が華やかで豊かな生活を送る宗教団体は、少なくとも、それぞれの会員の基本的な必要生活用品を提供する必要があります。そして、彼らは政府に税金を払っていないので、彼らができることの少なくとも一つは、これらの必要生活用品が本質的に物質的であろうと財政的であろうと、貧しい会員たちの必要生活用品不足に対処することです。

私たちの宗教団体、Church of God International について私が本当に誇りに思っていることの一つは、私たちは貧しく、他人の目には低く見えるかもしれませんが、信仰を持つキョウダイたちが食べ物が無くて乞うや飢死することありません。私たちの同胞の教会のワーカーたちは、それぞれの割り当ての場所で貧しいキョウダイたちの福祉状態をチェックし、彼らに食糧や薬のような本質的な必要生活用品を提供するようにワーカーたちに指示されています。

私の要点は、私たち自身の小さな方法で、恵まれない同胞の負担を軽減することができ、救援活動において政府の協力者になることができるということです。

一般市民としても、政府当局者や医療専門家の指示に対応し、遵守することで、この新型コロナウイルスの蔓延防止に貢献できます。政府当局者や医療専門家が私たちに家にいるようにと言い寄るのならば、私たちは自宅待機をしましょう。検疫期間をさらに延長する場合は、反対しないでください。それは私たち自身のためです。

実際、検疫や自己分離の考え方には聖書的な根拠があります。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
レビ記 13:46
その患部が彼にある間中、彼は汚れている。彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。

悪病の蔓延を防ぐために、イスラエル人は「ひとりで住む」ように命じられました

別の書では、イスラエル人たちは彼らの部屋の中に行き、疫病が通過するまで隔離されるように指示されました。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
イザヤ書 26:20
さあ、わが民よ。あなたの部屋にはいり、うしろの戸を閉じよ。憤りの過ぎるまで、ほんのしばらく、身を隠せ。

現在、政府と保健当局によって課されている措置は、実際には新しいものではないと言えます。それらは旧約聖書と同じくらい古いです。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
歴代誌下 26:21
ウジヤ王は死ぬ日までらい病に冒されていたので、らいを病む者として隔離された家に住んだ。彼は主の宮から絶たれたからである。その子ヨタムが王宮を管理し、この国の人々をさばいていた。

ウジヤ王の死の日まで、ウジヤ王はハンセン病にかかっていたので孤立して住んでいました。ウジヤ王は人々に感染しないように他の人々から距離を置いた。

新型コロナウィルスはハンセン病よりも致命的で感染しやすいことを考えると、私たちの時代では、自己検疫または自己隔離を実践する必要があります。権威のある人々が推奨している健康手順を厳守しましょう。家にいることが感染しないための最良の方法です。ただし、特定の症状が現れた場合は、現在すでに利用されている様々な通信台を介し、すぐに医療専門家に相談してください。例えば、フィリピンでならUNTV放送局には24時間年中無休の通信クリニックがあり、自宅から出かけることなく、健康上の懸念について医師に相談できます。日本でならば、厚生労働省が設けた「帰国者・接触者相談センター」に相談できます。

特に一般の従業員と毎日の賃金労働者にとって、確かに封鎖令と検疫期間を課されるは貧しさを招きます。しかし、それは正しい選択をするだけの問題です。家にいて空腹感をたまに体験するのが遥かにマシなことです。少なくとも、あなたは安全で、まだ生きています。家で退屈することについて文句を言わないでください。愛する人と一緒にいると、何故に退屈するのですか?家族と絆を深め、公共検疫期間を最大限に活用してください。財布が空になっても問題ありません。あなたの人生はお金のいっぱい財布よりも価値があります。あなたが外出して生計を立てよると主張するなら、あなたは、あなたの安全とあなたの家族の一員の安全を危険に晒すことになります。あなたの知っている全ての為に稼ぐであろうお金で、この致命的なウイルスに感染したまったら、稼いだお金はあなたの入院のために費やされるだけです。そして、感染した場合に回復できるという保証はありません。家にいることで安全を確保できる可能性があります。

しかし、必要なすべての予防策を講じることは別として、私たちの最も強力な武器となるのは、全能の神への祈りです。私たちに与えられるすべての機会-朝、正午、午後、夕方-で私たちは神の慈悲のために祈りましょう。神の慈悲と思いやりは、神を恐れ、神を信じる人々にとって確実なことです。それらの慈悲は毎朝、新しいです。

ですから、目覚める毎朝、神の憐れみを受け入れる機会を与えてくださった神に感謝することを忘れないでください。私たちが今まで生きているのは、神の憐れみのためです。

神に感謝します!


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この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

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