キリストは神では無いと信じる者がいる悲しくて、残念な理由

11月 18, 2020 0 Comments

Manalo氏のIglesia ni Cristo (略してINCM)の主張に、主イエス・キリストは単なる人間に過ぎないということに真実はあるのか?まず、使徒ヨハネが主について言ったことを考えてみましょう。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヨハネ 一 5:20
しかし、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
ヨハネ 一 5:21
子どもたちよ。偶像を警戒しなさい。

この特定の聖句で主イエス・キリストは神ではなく、ただの人間であるという主張が有効であるように見せるために、INCMの大臣によって混乱させられている多くの聖句の1つです。彼らは、20節で言及されているまことの神は御父であるように見せようとしています。

しかし、それをもっと深く分析しようとすると、これらの聖句で言及されている「まことの神、永遠のいのち」は、この地上に来られた方、使徒たちに理解を与えた方です。御父は、肉体的にここに来られていなかったので、これらの聖句は御父には当てはまりません。間違いなく、それは御父の御子、主イエス・キリストを指します。主は「まことの神、永遠のいのち」です。

21節でなぜ「偶像を警戒しなさい」と警告されているのでしょうか?地球上には、偶像や偽りの神々がたくさんあるからです。しかし、使徒たちによれば、ここに来られた方、彼らに理解を与えた方は、「まことの神、永遠のいのち」です。そして、それが主イエス・キリストでした。 「まことの神」は、特異性を表す定冠詞「の」(「まことの神、永遠のいのち」)によって導入されたことに注目して下さい。

「永遠のいのち」が主イエス・キリストでおられることをさらに証明するために、ヨハネ一1:1-2は、次のように述べています。

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ヨハネ 一 1:1
初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

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ヨハネ 一 1:2
・・このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。・・

「永遠のいのち」は御父と共におられ、ここに来られて使徒たちの前に現れました。非常に明確に、それは主イエス・キリストを指します。これは、INCMの大臣が聖書から消したり、除いたりすることができないという聖書の真実の1つです。

さて、キリストがこの地上に来られたとき、これは御父が主に仰せられたことです、

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ヘブライ 1:8
御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。

繰り返しになりますが、この節もINCMの大臣によって捻られています。主イエス・キリストを普通の人間の地位に引き下げる意図で、彼らは「神よ。あなたの御座は・・・」を「神よ。あなたは御座・・・」に変え、神を侮辱する非常に卑劣な考えを生み出しました。彼らは、神をはるかに低い地位に導きました。彼らは、主を誰かに座れる王座にしたのです。それは、馬鹿げたことではありませんか?

先に引用した節では、御父が話をしておられている相手を、御父はその御子を「神」と呼びました。あなたは、御父の宣言に疑問を投げかけるつもりですか?それが真実なのです。主イエス・キリストは「神の御子」でおられるため、神なのです。主は御父の懐から来られました。御父は主をお生みになられました。この真理は、INCMの牧師たちが受け入れるのが難しいと感じるものです。—御父が、「唯一の生まれた神」を生み出したということです。しかし、彼らの拒絶は真実を変えることはありません。主イエス・キリストが唯一の生まれた神でおられます。ギリシャの写本に刻まれているように、主は「monogenes theos」 = mono(唯一の)genes(生まれた) theos(神)です.


実際、主イエス・キリストの神性さを証明する証拠がたくさんあるとしても、使徒たち自身が「まどの神、永遠のいのち」と証言したとしても、御父が御子については、「神よ。あなたの御座は世々限りなく・・・」と仰せられても、INCMの牧師たちが、主イエス・キリストはただの人間であるという彼らの100年以上前の信念を手放すかどうかは分かりません。

それについてはどうしょうもありません。正当で聖書的な理由ではなく、単に頑固さと強情さから、キリストの神性さを認めない人々が本当にいることは確かに避けられません。しかし、彼らの頑固さと強情さは、彼らを滅びる以外のどこに連れて行くのでしょうか?

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