人々を惑わす説教師らに対し、聖書は警告をする

2月 07, 2021 0 Comments


すべての説教者が聖書の理解を持っているわけではないのは事実です。彼らの多くは、ただ神に属するフリをしています。実際、彼らが聖書を知らないことは非常に明白であるだけでなく、彼ら自身が理解していないことを彼らが説いているので、あなたは、彼らを簡単に認識することができます。

JAPANESE SHINKAIYAKU SEISHO
テモテ 一 1:7
律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることも、また強く主張していることについても理解していません。

彼らは、Manalo氏のIglesia ni Cristo(略 INCM)の牧師のように、聖書を理解していないという事実にもかかわらず、律法の説教者または、教師になりたいと望んでいます。 INCMの公式出版物であるPasugoに掲載された記事の一部を引用させていただきます。マナロ自身を含む,彼らの大臣らは聖書を理解しておらず、彼らが何について話しているのかわからない、ということをお見せします。



:翻訳:
[ローマ人への手紙第16章16節には、「すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。」 「Iglesia ni Cristo」は正式名であり、すべての人が(お互いに)挨拶する際で使用するように命じられている挨拶である。人種や場所の名前ではなく、個人の特性に関係するものでもありませんが、すべてを指します。状態、または状況も指します。]

この記事は、INCMがローマ人への手紙16:16をひどく誤解し、誤った説明方法していることを証明しています。

非常に明白に、この聖句はキョウダイたちに聖なる口づけでお互いに挨拶するように命じています。教会のキョウダイたちが互いに挨拶し合うのは、「聖なる口づけ」です。しかし、INCMの解釈では、彼らがお互いに敬礼したり、挨拶したりするのは、彼らの教会名である「Iglesia ni Cristo」です。馬鹿馬鹿しい!ナンセンスですね。

使徒たちが書いた手紙を考えてみると、コリントの兄弟たちのように、教会のキョウダイたちには、聖なる口づけでお互いに挨拶するようにとの訓戒が与えられました。

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コリント 一 16:20
すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。

実際、ローマとコリントのキョウダイたちだけが、聖なる口づけでお互いに挨拶するように命じられただけではありません。ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤのキョウダイたちも、使徒ペテロから同じ指示を受けました。

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ペトロ 一 1:1
イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、

それらの場所のキョウダイたちは、厳しい迫害を経験したので散らばっていました。そこで使徒ペテロは彼らに手紙を送り、彼は慈善の口づけ、または聖なる口づけでお互いに挨拶するように言いました。

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ペトロ 一 5:14
愛の口づけをもって互いにあいさつをかわしなさい。キリストにあるあなたがたすべての者に、平安がありますように。

テサロニケ人も使徒パウロから同様の指示を受けました。

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テサロニケ 一 5:26
すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもってあいさつをなさい。

INCMだけが、聖なる口づけではなく、「Iglesia ni Cristo」という名でキョウダイたちに敬礼するのは奇妙なことです。彼らが聖書を理解していないことの明確な証拠です。

「聖なる口づけ」はどうなのでしょうか?彼らの大臣によると、INCMの聖なる口づけの解釈は何ですか?



ローマ人への手紙第16章16節で言及されている「聖なる口づけ」の独自の解釈を思い付く代わりに、INCMの大臣はウィクリフ聖書注解書 ( Wycliffe Bible Commentary )で提供された注解に言及しました。明らかに、彼らは彼ら自身の注解を持っていません、それは、彼らが「他の誰か」の注解を使用した理由です。

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ウィクリフ聖書注解書 ( Wycliffe Bible Commentary ) より「聖なる口づけ」に関する注解

:原文:
[Whatever in modern culture is symbolic of the deep affection which Christians ought to feel toward each other — a kiss on the cheek, a warm handshake, a grasping of both hands, and others — this is the equivalent of the apostolic command.]

:翻訳:
現代文化の何であれ、クリスチャンたちがお互いに対して感じるべき深い愛情の象徴です(頬にキスをする、温かい握手、両手を握るなど)これは使徒の命令に相当します。
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彼らによると、彼らがプロテスタントの本に基づいている「聖なる口づけ」についての彼らの立場は、それが人に挨拶する方法であるということです。そして、その現在の同等物は、「(タガログ語)beso-beso」頬への口づけ、または握手です。彼らはまた、これが彼らの教会での彼らの兄弟姉妹が実践していることであることを認めました。

しかし、「Iglesia ni Cristo」という名は、キョウダイたちがお互いに挨拶するための挨拶である、という議論に続いて、私の疑問は、握手するとき、または彼らがbeso-besoをするとき、またはお互いに口づけするときです。彼らは「Iglesia ni Cristo」という名を言いながら、お互いに挨拶をするのでしょうか?もちろん、しないでしょうよ!彼らは、そうすることで「自分らが馬鹿みたい」に見えることを心の中で知っているからです。

これは、INCMの説教者らが、彼らの好きな聖句であるローマ16:16さえも理解していなく、彼ら自身が理解していないことについて、彼らが話していることを示しているだけです。

繰り返しますが、神から来ている説教者や牧師だけに神様が悟りを与えて下さいます。そのような者は、説教するために神から遣わされました。

ローマ 10:15によれば、

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ローマ 10:15
遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

聖書を理解していない説教者は神から遣わされません。

実際、フィリピンのミンダナオ地方には、自分は神の子であり、すべての人の魂を所有していると主張する別の誇り高ぶってる説教者がいます。 INCMの牧師のように、この男も自分が何について話しているのかわからず、口から出てくる言葉は聖書の言葉と一致していません。

彼が人々のすべての魂を所有していると言う勇気を彼に与えたのは何でしょう?聖書的に言えば、人々の魂はすべて神によって所有されており、彼のような普通の人間によって所有されているのではありません。

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エゼキエル書 18:4
見よ、すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。

私のすべての人々への呼び掛けは、この種の説教者に騙されないようにして下さい。それらは、神から遣わされた者ではありません。彼らは、あなたを滅びに導くだけです。

神が私たち全員を導き、祝福してくださいますように!

免責事項

この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

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