主イエス・キリストの存在を厳密に調査する

10月 07, 2019 0 Comments


クリスチャンであると主張する宗教団体に所属していると公言する人々がいるにもかかわらず、主イエス・キリストが本当に存在したかどうかについて疑問を抱いていることは皮肉であり、馬鹿げています。聖書を使用している教会に所属しているにもかかわらず、キリストの存在に関する彼らの不確実性が実際に、まだ払拭されていないのは本当に不思議です。

私が気遣うところまでは、主イエス・キリストの存在を信じるには十分すぎる理由が私は持っています。愚かな無神論者と不可知論者だけが主イエス・キリストの存在を疑います。

主イエス・キリストは、世界が創造される前からすでに存在しており、現在にまで存在しておられます。他のすべてが存在し始める前に、キリストはすでに御父と共に存在しておられました。主はそれを教えてくださりました。そして、それは聖書の神の御言葉によって証明されています。

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ヨハネ 8:56
あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」

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ヨハネ 8:57
そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。」

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ヨハネ 8:58
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」

新改訳聖書版では、58節はイエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」 と翻訳されています。

だから、今日、キリストの存在は、主がマリアから生まれた時にのみ始まったと自分の会員たちに教える説教者は、酷く間違っていると言えます。それは、聖書の神の御言葉を理解していないことの証拠です。

キリストと共に永遠に御父と共に存在した人は他にいないことを忘れないでください。

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ミカ書 5:2
ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。

ミカ書によれば、主は永遠から来られました。このことは他の聖句に支援されています。

箴言 8:22 にて、神様の知恵が言われたのは・・・

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箴言 8:22
主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。

主の道の始まりは永遠にあります。 「知恵」は主と共に永遠に存在しました。主の初めのわざの前に、神の道の初めに、神と共に存在したこの「知恵」は誰ですか?

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コリント 一 2:6
しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。

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コリント 一 2:7
私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

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コリント 一 2:8
この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

使徒パウロが言及している「知恵」は、栄光の主であり、十字架にかけられた主であり、主イエス・キリストにほかなりません。

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コリント 一 1:24
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

旧約聖書では、キリストは「神の知恵」と呼ばれていました。主は神の御力であり、神の知恵です。主イエス・キリストを除いて、神と共に永遠に存在した他の「知恵」は聖書にないことを意味するのだと使用された定冠詞「〜は」に注意してください。主は「神の知恵」と呼ばれています

ルカ 11:49 では、神の知恵は主イエス・キリストでおられるとさらに証明されています。

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ルカ 11:49
だから、神の知恵もこう言いました。『わたしは預言者たちや使徒たちを彼らに遣わすが、彼らは、そのうちのある者を殺し、ある者を迫害する。

主イエス・キリストは永遠に存在しました。主は今まで存在しておられます。そして、主の存在は永遠に続きます。

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黙示録 1:17
それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、

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黙示録 1:18
生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。

ヨハネが神様を見たとき、神は彼にこう仰せられました「わたしは、最初であり、最後であり、 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。」と

私が引用したのは、主イエス・キリストの永遠の存在を証明する聖書の節の一部です。しかし、聖書の基盤とは別に、主イエス・キリストの存在を証明する他の証拠もあります。その1つは、ローマ史の年代記の特定の記述です。

ローマの歴史家タキトゥスは、そこで彼がキリスト、ティベリウス・シーザー、ポンティウス・ピラトに言及した場所で何かを語りました。



この情報によると、キリストの信奉者であるクリスチャンと呼ばれる人々の集団がいて、ネロ皇帝が最も精巧な拷問を加えました。一方、キリスト(またはクリストゥス)は、ポンティウス・ピラトの手によるティベリウスの治世中に極度の処罰を受けました。これは、ローマ社会、ローマ帝国がまだ非常に強力な国だった当時のキリスト教徒の公共の存在を認めたことを意味します。

その歴史的な記録とは別に、年代記で言及された他の人物、ティベリウス・シーザーとポンティウス・ピラトの存在を証明する物理的証拠もあります。

主イエス・キリストが生まれたとき、ローマの皇帝はアウグストゥス・シーザーであり、紀元前31年から西暦14年まで統治していました。最終的に、彼の座は紀元後14から紀元後37 に君臨したティベリウス・シーザーに引き継がれました。これら二人のシーザー(アウグストゥスとティベリウス)は、主イエス・キリストが地上にいた頃の権力者でした。

そして、考古学的な発見は、これらのローマ皇帝の存在を確認します。

彼らの肖像が刻まれたコインが発掘され、現在は博物館に保管されています。聖書に言及された物語、あのパリサイ人たちがローマ政府の下で主に死刑の罰が下りるための根拠となる隙を見つけ、何としても主イエス・キリストを捕まえようとしたときに使われたにあのコインと同じです。



マタイ 22:17-21 にある記録はこう言われています、

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マタイ 22:17
それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」

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マタイ 22:18
イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。

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マタイ 22:19
納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。

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マタイ 22:20
そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」

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マタイ 22:21
彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」

物語は、アウグストゥスまたはティベリウスのいずれかのシーザーの像が碑文にあるコインについて言及しています。前述のように、これらのコインの見本が見つかりました。私自身も、図書館にティベリウス・カエサルの像のあるコインと、アウグストゥス・カエサルの像のあるコインを持っています。

ローマ帝国の検察官であるポンティウス・ピラトについても、彼の存在を確認する物理的証拠があります。

1961年に石灰岩が発見され、そこに刻まれた文字にはティベリウスシーザーとポンティウスピラトの名前が含まれていました。


明らかに、このイタリアの考古学者によって発見された石灰岩は、ポンティウス・ピラトの指導の下で作られました。おそらく、ピラトが皇帝を喜ばせたいという欲求に基づいて作られたのは、ティベリア・シーザーへの献身だったからです。

これらはすべて、聖書の記述、特に主イエス・キリストの存在に関する記述、およびローマ皇帝のような特定の人物(アウグストゥスとティベリウス)、そして彼らを支持していた検察官のポンティウス・ピラトについての信憑性と真実性を証明していま。物理的証拠と歴史的説明を挙げているのです。

そして、ローマの歴史家が、ローマ帝国が死に至ったキリストについての物語を考え出したり、作り話をしたりと私は信じません。キリストの存在と、主が2000年前に率いるクリスチャンと呼ばれる集団は、文書化され、年代記の一部となったため、ローマの歴史が隠すことができなかったいくつもの事実なのです。

確かに、聖書の記述、歴史的記録、考古学的な発見は、キリストの存在に関するすべての疑念を投げ捨てられるのに十分です。キリストは御父と共に永遠に存在していましたし、主は今でも存在し、主は永遠に存在します。アーメン。

免責事項

この日本語翻訳は、私たちの通訳者たちの全力を尽くし最高度の注意をもって翻訳されました。しかし、ControversyExtraordinary.com は諸要因により翻訳された情報の正確さを保証しません。本来の言語である英語版と日本語版に不一致があった場合でも、本来の英語版が常に優勢です。

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